篠原倖太朗主将(2区・4年)
田澤 廉選手や鈴木芽吹選手など、尊敬する先輩たちから襷を受け継いできた篠原倖太朗主将。春先には「このチーム力だとシード権も取れないのでは?」といわれたこともあったそうですが、部員一人一人に見せる主将の優しさや明るさでチームは一致団結。上昇気流に乗り、三強といわれるまでに評価をあげ、復路新記録での総合2位で箱根駅伝を終えました。
——主将、エースとして臨んだ箱根駅伝、自分の走りとチームの走りはいかがでしたか。目標タイムの1時間6分30秒を上回る1時間6分14秒だったので、タイムとしては自分も頑張ったのですが、区間順位は4位だったんですよね。区間順位が下のほうでも抜かれなければまだよかったのですが、青山学院の黒田くん(朝日・3年)と創価大学の吉田 響くん(4年)に抜かれてしまい……。観客の皆さんに大学に対してマイナスの印象を与えてしまったので、部のみんなに申し訳ない気持ちがあります。チームでいえば、“やられて終わりではない駒澤”を見せることができて、本当に強いチームに成長できたなと思います。
——往路が終わった後、「黒田くんや吉田くんのように2区の適性がある選手には勝てない」と言及されていましたね。やっぱり坂が登れないんですよね、僕は。ラスト3キロは戸塚の壁といわれているように、坂というかほんとに壁ですから。ロッククライミングできるかできないかです(苦笑)。
——エース区間である2区を走りたいという気持ちはずっとありましたよね。実際走ってみた今、もし区間を決める時点に戻って希望を出せるとしたらどこを走りたいですか?「迷わず1、3、4区ですね(苦笑)」。
——優勝争いに踏みとどまった往路と、新記録で優勝した復路、それぞれキーマンを挙げるとしたら?往路は1区の帰山(きやま)侑大(ゆうだい)(3年)、3区の谷中 晴、4区の桑田駿介。3区と4区を走った1年生が初めての箱根駅伝をどれだけ繋げるかというところがポイントでしたが、しのぐだけではなくしっかり攻めてくれました。2人とも本当にいい走りでした。
復路でいえば6区の伊藤蒼唯か、7区の佐藤圭汰(ともに3年)。結果で見たら、圭汰はやはり強かったです。怪我明けでしたが、「区間新出してきます!」といって、本当にしっかり出してくるところに圭汰の強さを感じますね。
復路優勝を引き寄せたという意味で大切なのは伊藤だったと思います。駒澤としては、本来は4区まではなんとか耐えて、5〜7区で行こう!といっていたのですが、5区で青山学院さんに差を広げられてしまったので、6区がすごく重要な区間だった。そこは、本当に伊藤がよく頑張ってくれました。
——9区を走った村上 響選手(2年)への給水は、篠原主将からの申し入れですか?そうです。村上は、わかりやすく自分を慕ってくれた後輩だったんですよね。2年の学年リーダーをしている彼のおかげで、チーム作りがすごくやりやすかったところがあったので、最後くらい自分が彼の力になれたらと思い、「給水やらしてくれる?」ときいたら「お願いします!」といわれて。
——『家庭画報』2月号の取材で村上選手にインタビューした際にも「篠原さんは今まで接してきた人の中で一番尊敬できる人です。今後、篠原さん以上に尊敬できる人は現れないと思う」と熱く語ってくれました。そう言ってくれていますよね(笑)。
——チームをまとめるのに苦心されたと思いますが、どんなチームになりましたか?トラックシーズンでなかなか結果が出なかった春先、「今年の駒澤大丈夫? 大学駅伝のシード権、落としちゃうんじゃない?」といわれたりする雰囲気の中でスタートした新体制でしたが、秋以降は三強といわれるまでになりました。自分たちで出してきた結果なので、本当に自慢のチームですね!
——篠原さんにとって、箱根駅伝とは?いろいろな方から前を見て意識を高めるために、「箱根駅伝といえども、世界を目指すための通過点だよ」と言われてはいたのですが、終わってみて改めて思うのはやはり自分にとっては本当に大切な大会だったなと。やりきりました。
この先の近い目標は、東京世界陸上の5000メートル。現時点ではかなりいい位置にいるので、日本記録に近いところで走ってしっかり狙っていきたい。富士通とG goatでしっかり練習に取り組んでいきます。