同じ病棟の年下の子どもたちや、ボランティアさんに勇気をもらう
【担当することが多い核医学検査】自身も何度も受けた核医学検査は、放射性物質を用いて骨や心臓などを調べるもの。検査の意義や注意点を丁寧に説明し、少しでも患者の不安を取り除くことを心がける。左大腿骨に骨肉腫が見つかったのは、高校1年生のクリスマスの日。高校に2学期から通い始め、生活のリズムが整ってきた頃、退院後の最初の診察のときでした。家口さんは、この骨肉腫は左上腕骨の骨肉腫の再発ではなく、離れた部位にほぼ同時期に腫瘍ができる「多中心性発生」という珍しいタイプだと考えました。
林さんは、家口さんの異動に伴い大阪市立大学医学部附属病院の小児科病棟に入院しました。高校を休み、副作用に苦しんだ抗がん剤や手術をまた受けると思うと「なんで僕ばっかりこんな目に遭うんや」と怒りが湧き、ひどく落ち込んだといいます。
ただ、前回入院した整形外科病棟とは異なり、小児科病棟では15歳の林さんはほぼ最年長でした。小さな子どもたちが何度も手術を受けたり、抗がん剤の治療をがんばっていたりするのを間近で見るうちに、「自分も負けたらあかん、治療をなんぼでもやったろうと、気持ちの切り換えがつきました」と林さん。
そして、手術と術前・術後の抗がん剤治療を再び受けました。手術は、上腕骨の治療と同様、大腿骨の一部を切除し、切除した骨に放射線を当て、またその骨と自分の健康な骨とを金属でつなぐ方法が採られました。左肩に負担をかけないように松葉杖で歩くリハビリテーションも行いました。
「米国から帰国後、失敗してもいいやん、何でもやってみよう、という気持ちになりました」
林さんにさらに力を与えてくれたのが、メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパンとの出会いでした。この団体は3歳以上18歳未満の難病の子どもたちの夢を叶える手伝いをする世界的な支援団体です。
林さんは同じ病棟に入院している1歳下の映画好きの男の子から支援を受けて米国ハリウッドに行ったことを聞き、自分も米国に野球を観に行きたいと、思いきって団体にコンタクトをとりました。近鉄ファンで、中学の部活動で野球部に所属したものの、右肘を傷めて野球を断念した林さんにとって米国の野球は憧れだったのです。
3回の打ち合わせの後、米国のメイク・ア・ウィッシュとの連携によって、2004年7月、シアトル行きが実現しました。観戦したシアトル・マリナーズの三連戦ではイチロー選手がヒットを打ち、長谷川滋利投手が登板しました。
「ホテルにはリムジンが迎えに来てくれて、まさに夢の旅行でした」。家族と一緒に旅行できたこともうれしかったといいます。「入院中は両親が交代で来てくれましたが、両方は揃わないし、3歳下の妹は小児科病棟に入れず、いつも待合室で待ってくれていました。家族で楽しく過ごす時間がほとんどなかったのです」。
このように小児がんや難病の子どもたちの夢の実現、旅行や遊びの支援をする団体はほかにもあります(次ページ参照)。また、患者団体が子どもの遊びをサポートしているケースもあります。
帰国時に関西空港で出迎えたボランティアの男性が「これは僕らが叶えた夢ではなくて、祐樹君が声に出して自分の希望を伝えてくれたから実現したんだ」と話してくれたことは忘れられないと林さん。「この一言で、考えているだけではなくて、何でもやってみよう、失敗してもいいやん、とポジティブになりました」。
診療放射線技師になると決めたのもこの頃です。骨肉腫の治療や検査についてインターネットで調べていたとき、自身が受けた画像検査や放射線療法を行うのが診療放射線技師であると知りました。
「肩が動かないことがコンプレックスで、人前での仕事は億劫でしたが、診療放射線技師の仕事は魅力的でした。そして、担任の先生に話したら、自宅から自転車で10分ほどのところに日本で最も歴史の古い診療放射線技師の養成校があるよと教えてもらえたのです」。
学校説明会で体の状態を話して仕事内容を確かめ、受験して合格しました。こうして林さんは自らが患者を支える診療放射線技師への第一歩を踏み出したのです。