女性誌の対談コーナーで
始まった越路吹雪さんとの交流
玉三郎さんが越路吹雪さんと直接交流するようになったのは、玉三郎さんが25歳のときでした。女性誌で対談を依頼された際に、お相手として越路さんの名前を挙げ、実現したそうです。
「好きな先輩に会えるのだったらという条件で、対談企画を引き受けしました。1年で2冊の雑誌でやらせていただいたので、24人の尊敬する先輩方に会える。それで、越路さんにお頼みしたのです。ほかにも杉村春子先生や先代の水谷八重子先生、淡谷のり子先生など、ほとんどが女優さんだったんです。越路さんはインタビューが苦手な方で、“あなただから、受けたのよ。その代わりに自宅でお願いね”ということで、伺いました。当時の私が女方として関心があったのは、年を重ねた方が女優として活躍されていること。すでに自分というものをしっかりと確立されている越路さんが、それから先をどう計画されているかを伺いたかったんです。舞台人になるために、舞台裏を学ぼうと思いました。本番を迎えるまでの時間をどのように過ごされているのかが知りたくて、マネージャーをされていた岩谷時子さんからも伺って、実際に自分にも取り入れました。それが、筋肉のコンディショニングを整えるトレーナーにメンテナンスをしてもらうことです。スポーツ選手なら当然ですが、その頃俳優でトレーナーを取り入れたのは、越路さんと劇団四季と私くらいではないでしょうか。今は必要不可欠な存在になりました。越路さんは、とにかく舞台で最高のパフォーマンスができるように逆算して、その時間の中で準備をしていくことを大切にされていました。岩谷さんからは越路さんが海外に行ったときの話も伺いましたが、“とても素敵だったわ。でも私なんかがブロードウェイにいても、きっとアンサンブルくらいね”って仰っていたそうです。とても謙虚な人だったのだと思います」
玉三郎さんにとって、越路さんは実際に言葉を交わしただけでなく、幾度となく舞台に立つその姿を見たことで、同じ舞台人として共感することも多かったようです。衣裳へのこだわりや着こなしもその一つ。ロングリサイタルの衣裳ではニナ・リッチやイヴ・サンローランのオートクチュールを着ていたという越路さんの姿を目にしている玉三郎さんは、当時のことを次のように語りました。
「対談させていただいたときにご本人にもお伝えしたのですが、越路さんはドレスの着こなしがとても素晴らしい方でした。動きがとってもきれいで、頭から裾までのラインが美しい。ご本人は“意識をしてない”とおっしゃっていましたが、意識していないでいて、意識しているところがあるのだと、私は拝見していて思いました。振り返ったときの視線と、ドレスのラインがすぅーっと、うまく合っているんです。おそらく越路さんがダンスなどで培った感覚によるもので、計算してできることではないと思いました。次の幕ではどんな衣裳で出てくるのかが、とても楽しみでしたね」
玉三郎さんのリアルな言葉を伺っていると、今にも越路吹雪さんのドレス姿が目の前に甦ってくるようです。そうした交流を経て、玉三郎さんは昨年春に敬愛してやまない越路さんの三十七回忌追悼特別公演で、ご自身が好きだというアズナヴールの名作『妻へ』を熱唱しました。そして、今回のコンサートへと繋がったのです。