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前回まで)理想の里山を求めて農家になる決意をした今森さん。生き物の住処を作るのに必要な作業のため、涙をのんで木々を伐採します。
今森光彦 環境農家への道
第12回 伐採した木々を競りにかけたら
部屋の中で、剪定したばかりの園芸種のユリをいける。花は、できるだけ飾るようにしている。(写真・文/今森光彦)
伐採する木の数は、何百本にもなる、いったいどうするべきか。表情を曇らせる私をみて、農家の西村さんが、名案を出してくれた。
それは、伐採したスギやヒノキを貯木場へ運び、競りにかけてはどうか、そうすれば、だれかが、何かの役に立ててくれるはずだというのである。
それと、もうひとつ、仰木(おおぎ)祭りのときに使う流鏑馬(やぶさめ)の的として、ヒノキを献上してはどうかという。
私は、思いもよらなかった2つのアイデアをそのまま実行することにした。伐採したスギやヒノキは、太くて姿の良いものは4tトラックに載せた。
結局一度に積みきれずに二往復することになったが、竹の根掘りを手伝ってもらった仰木の材木屋さんの力を借りて、なんとか、材木の集積場に運び込んだ。
木の切り口には、今森の“今”のマーク。 出荷するときには、この目印がないと、貯木場で膨大な数の他の木々に紛れてしまう。競りは、数日後に行われ、私も立ち会った。はじめての経験だったので、けっこう緊張感があった。まるで、魚屋さんの競り市さながらで、競り人の迫力ある声が、広い空に響き渡った。
結論をいうと、私が売りに出した木々は完売したが、価格の方は、低調に終わった。どれほど低調かというと、手伝ってもらった人のお礼やトラックのチャーター料金などを差し引くと、ほとんど何も残らない、というありさまだ。
あれほど手間をかけて出荷したのに、この結末。日本の材木が、こんなにも価値の無いものになってしまったことに驚いた。農家の人が山の木々を見放す理由を、身をもって実感した。
伐採した木は、県内にある木材の競り市に出品した。どんな人が買うのだろう、何に使うのだろう、と興味津津の一日だった。 一方、小椋神社からはじまる仰木祭りに奉納するヒノキの方は、厚さ数センチの板にひかれて、弓矢の的が出来上がった。奉納者である証として、私自身が、的の両端に赤色のペンキを塗らしてもらった。こんな体験は、もう二度とできないだろう。
ヒノキを薄くひいて出来上がった弓矢の的に赤いペンキを塗る。長年お世話になった仰木の神様に献上できて光栄だ。宮司もたいそう喜んでくださり、満足感があった。 竹林の農地は、とことん荒れていたおかげで、里山のイロハを、今更ながらに私に教えてくれているように思う。
的は、すべて小椋神社の宮司によって奉納された。(次回は8月7日更新予定です。お楽しみに。)
今森光彦
1954年滋賀県生まれ。写真家。 切り絵作家。
第20回木村伊兵衛写真賞、第28回土門拳賞などを受賞。著書に『今森光彦の心地いい里山暮らし12か月』(世界文化社)、『今森光彦ペーパーカットアート おとなの切り紙』(山と溪谷社)ほか。
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