9月に愛らしい花を咲かせるいたどりを添え、古い根来の盛器に盛って、竹皮に包んだ鯖寿司と並べればいかにもお祭りの風情。詳しいレシピは次ページ>>鯖寿司
料理・文/大原千鶴
京都市内は海から遠く、新鮮な海のお魚をいただくことはとても大変なことでした。冷蔵庫もない時代、生のままお魚を運ぶのは当然無理ですから、塩をした魚をいただくことが常になります。
若狭湾で獲れた新鮮な鯖は、捌かれ、たっぷりと塩を当てられて、1日かけて京都市内に運ばれてきます。日本海から市内へと続くその路は鯖街道と呼ばれ、京都の人たちにとって大切な路でした。他の魚も通ったであろうこの路に「鯖街道」と名前をつけた京都人たちは、やはり鯖がとても好きだったのだろうと思います。
そういう私も鯖街道の別れになる場所で育ちましたから、小さかった頃はほぼ毎日のように塩鯖をいただきました。それは本当に毎日のようでしたので、「また鯖かぁ」と思ったものです。
鯖は秋になると身に脂がのり、太って大きくなり美味しくなります。ずっしりとした塩鯖を、京都の人は酢で締めて鯖寿司にし、秋祭りに供えました。
私の祖母もお祭りの前の日には本当にたらいのように大きな盤台にすし飯をたっぷりと用意し、40本くらいの鯖寿司を毎年作っていました。
きっちりと竹の皮に包まれた鯖寿司を、親戚や知人が立ち寄る度に祖母が半紙に1本、また1本と包んで持たせます。その時の祖母の自信に満ちた満足そうな顔を今でも忘れることが出来ません。
鯖はお酢でしっかりと締められていて、今よくあるご馳走風の生々しいものではなかったのですが、その締まり具合やすし飯の甘さがなんとも言えず美味しくて、いつも食べ慣れた塩鯖が本当にご馳走に変わる瞬間でした。
こんな風に鯖寿司はどこの家でも作られ、配られ、その家ごとの味があり、それをまた比べて楽しんで。それが秋祭りの毎年の風景でした。
今は祖母もなくなり、鯖寿司も前ほど大量に作らなくなりました。祖母の作ってくれたあの白い鯖寿司。もう同じ味に出合うことはありません。同じ材料で同じレシピで同じキッチンで作っても、料理というものは作り手の人となりが表れますから同じものにはなりません。
家庭料理というのはそういうものだから、素敵で価値があるのだといつも思います。