随筆家 大村しげの記憶を辿って かつて、京都の「おばんざい」を全国に広めたお一人、随筆家の大村しげさんをご存じでしょうか。彼女の生誕100年となる今年、書き残された足跡を訪ねて、生粋の京女が認めた京都の名店や名品をご紹介します。
記事一覧はこちら>> 京都を旅するにあたり、京都ならではの場所や味に出会うために、私たちはなにを拠り所とすればよいのでしょうか。京都の情報を多数書き残した、随筆家・大村しげさんの記憶は、まさに京都を深く知るための確かな道しるべ。今回も彼女にまつわる名店を辿ります。
大村しげ
1918年、京都の仕出し屋の娘として生まれる。1950年前後から文筆をはじめ、1964年に秋山十三子さん、平山千鶴さんとともに朝日新聞京都版にて京都の家庭料理や歳時記を紹介する連載「おばんざい」を開始。これをきっかけに、おばんざいが知れ渡り、大村しげさんも広く知られるようになる。以来、雑誌や著書で料理、歴史、工芸など、幅広く京都の文化について、独特の京ことばで書き残した。1990年代に車いす生活となったのを機にバリ島へ移住。1999年、バリ島で逝去。(写真提供/鈴木靖峯さん)昔のお月見は女子会だった?
旧暦の8月15日の夜を十五夜と呼びます。この日に月見を楽しむのは誰もがご存じでしょう。大村しげさんにとって、月見は重要な行事の一つだったようで、何冊もの著書で、さまざまなエピソードを紹介しています。
「お供えの数は、だんごもこいもも十三個。これは月の数やと聞いている。五十四年は六月閏(うるう)で、旧の六月が二度あったため、十三月となったからである。そやから、お月見も十月五日と遅かった。今年(※)のお供えは十二個ずつ」(『京のおばんざい』中央公論社)。この本では昭和54年に小学生からの友人宅で、月見をした様子が綴られています。
※本が出版された昭和55年。だんごの数については次のようにも書いています。「こいもとおだんごの数は、おうちによっていろいろで、十五夜やから十五個供えるという方もある」(『ほっこり京ぐらし』淡交社)。大村しげさんの家では12個供える習慣であったことが、同著で語られています。
また、おもしろいところでは、占いのような古い習慣の記述もありました。「灯火を消してみんな縁側に集まり、月明かりをたよりにして、針に糸を通す。あんじょう(※)スッと通ると、お針が上達するし、通らないと望みうすということらしい」(『京 暮らしの彩り』佼成出版社)。この一節では、月見の夜は男性が外出していて、女性だけなので気兼ねなく楽しんでいた様子が紹介されています。当時の月見は、現代の女子会のようなものだったのかもしれません。
※物事がうまくいく様(さま)。好きだったのはまるい月見だんご
月見に愛着を持つ大村さんが著書『美味しいもんばなし』(鎌倉書房)で、秋に食べたいものとして挙げていたのが中村軒の月見だんごです。
「お月見だんごは、桂の中村軒にまるいのがあって、うれしい。いつのころからか、お月見だんごは月にむら雲のように、あんがのったものになっている」(『美味しいもんばなし』)。
中村軒は明治16年(1883)に、初代・中村由松が始めた饅頭屋が原点の老舗です。お店は当時から京都・桂。この地は丹波・丹後方面につながる山陰街道があり、中村軒は通行する人々の間で「かつら饅頭」として評判になりました。旧久邇宮家の御用を拝命、天皇皇后両陛下への献上という逸話からも、評判の名店とご理解いただけるでしょう。
現在、中村軒では数種類の月見だんごが作られています。このうち、大村さんが書いたのは「昔の月見だんご」です。ユニークなことに、現在のものとの違いがわかるように「昔の」と付いた商品です。上質な米粉を溶いて蒸した丸いだんごの中にあんこは入っておらず、和三盆をまぶして食べます。
「十五夜によって日付は変わりますが、月見だんごは9月頭から店頭に並んで、10月の中頃から月内で終了。9月中に終えることもあります」とは店主の中村亮太さん。
昔の月見だんご。1箱9個入りで、和三盆付きです。670円(税込み)。大村さんが「月にむら雲」と書いた月見だんご。しんこの上にあんをのせたもので、中村軒では粒あん(右)、こしあん(左)を販売しています。「しんこは芋名月(※)にちなんで里芋に似せているとする説もあります。こちらはお米の香りが少し薄めです」(中村さん)。各210円(税込み)。※中秋の名月の呼び方のひとつに芋名月があります。大村さんが「月にむら雲のように、あんがのった」と書いた月見だんごは、中村軒に限った話ではなく、和菓子店全般が丸いものだけではなくなっている世情を紹介したもの。中村軒では、むら雲のようにあんがのったものや、丸いだんごの中に、こしあんを入れた「月見だんご(丸)」まであって、実に多彩です。