【特集】あの最高峰時計はなぜ愛されるのか? 家庭画報.comが最高峰時計ブランドの“愛される理由”を徹底分析。各ブランドから、歴史や性能を楽しめる「入門時計」、私のスタイルにフィットする「定番時計」、いつかは欲しい「夢時計」の3本をご紹介します。
特集トップはこちら>> 「ゼニス」とは――
創業者ジョルジュ・ファーブル=ジャコが、1865年スイスのル・ロックルに時計工場を設立。彼は時計製造に関するすべての専門技術を一つ屋根の下に集結してムーブメントを製造する“マニュファクチュール”という概念を考案し、時計の製作に革命をもたらしました。
1900年のパリ万国博覧会に、ジョルジュ・ファーブル=ジャコが出品した懐中時計用ムーブメントが金賞を受賞。その後、「ゼニス」は航空機、自動車、列車などに搭載される各種計器を開発し、近代産業の発達を支えました。1911年“天空の頂点”を意味する「ゼニス」という現在の社名を採用。1948年、傑作ムーブメントといわれる「キャリバー135」を発表し、235の賞を獲得して「ゼニス」の名を不動のものにします。1969年、初の一体型自動巻きクロノグラフムーブメント「エル・プリメロ」を発表しますが、クォーツショックで会社は経営危機に陥り、1971年アメリカ企業に買収されてしまいます。機械式時計の製造中止や金型の破棄が決まりましたが、技術者シャルル・ベルモは機械式時計の製作に必要な設計図、部品、工具類が破棄されないよう密かに工房の屋根裏に隠しました。
マニュファクチュールの工房の責任者であったシャルル・ベルモはクロノグラフムーブメントの製造が専門で、「エル・プリメロ」の開発に原案から携わっていました。彼の的確な判断と信念により、9年にわたり機械式時計の名品「エル・プリメロ」が守られました。機械式時計の名品「エル・プリメロ」の復活
その後スイス資本に復帰し、再び機械式が求められるようになり、シャルル・ベルモが屋根裏に保管していた機械式の製作用工具などが「ゼニス」に戻され、1984年に「エル・プリメロ」の製作が再開。この時代は他社でも機械式の製作技術が失われていたため、ゼニス社の「エル・プリメロ」の復活は大変喜ばれました。2000年にはパリのラグジュアリーブランドLVMHグループの一員に。その後も、「エル・プリメロ」の進化や時計機構の革命「デファイ ラボ」の発表など、時計の未来を切り開く真摯なチャレンジが続いています。
スイスとフランスの国境をなすジュラ地方の街、ル・ロックルにある「ゼニス」のマニュファクチュール本館。創業以来、この地から離れることなく時計を作り続けています。ル・ロックルはスイス時計産業の街としてユネスコ世界文化遺産に登録。 表示価格はすべて税別です。 撮影/サトウアサ 取材・文/磯 由利子