商店街の誕生。パッサージュ文化とジュエリー
ところで1870年頃になると、ガス灯を用いた照明器具と、大きな板ガラスの生産が技術的に可能になります。そこで新しい商業空間、フランスでいう「パッサージュ」、英語の「アーケード」と呼ばれる商店街が登場。夜のショッピングの始まりです。
連れ立った男女が、美しく照明された店のショーウインドーを見て歩く。商店街に連なる店の多くが、ジュエリーをはじめとする奢侈品を扱っていたのは当然といえるでしょう。こうした流れもジュエリーの大衆化を押し進めました。
Everything is sold at small concessions at the fair. On this counter, cheap jewelry. Eastern States Fair, Springfield, Massachusetts/1936/Mydans, Carl/The New York Public Library ジュエリーが変わり、店の形が変わり、新しいショッピングが生まれました。いかにも楽しそうな時代の到来です。それでもまだ、女性が自分のために買うものを自分で決めるという時代ではありません。未だに財布を握っているのは男、商品の善し悪しに口を挟むのも男、という時代のままなのです。
ダイヤモンドは人気がなかった?!
カミーユ・ピサロ「夜のモンマルトル大通り」/Interfoto/アフロ街灯の誕生と好まれるジュエリーの変化
近代化が進むにつれ、社会も変化を遂げます。電気やガスが普及し始め、都市部では夜の社会生活というものが生まれてきます。1890年頃までのアンティーク・ジュエリーを見て気がつくのは、ダイヤモンドの比率が非常に低く、中心は色石や真珠であることでしょう。その理由は簡単、光が少ないからです。光がわずかしかないところでは、ダイヤモンドは単なるゴロ石にすぎません。ガス灯の淡い光でも分かる真珠や色石が中心になったのは、当然ですよね。
さて、ここまで近代ジュエリーについてお話ししてきました。今回こちらでご紹介している写真は、大衆化が本格化した時代のカタログ、広告、工場の様子と店でのお客の様子を写したものです。次回はいよいよ現代、女性がジュエリーを本当に自分のものとする時代について解説します。そこで、ヴィクトリア時代のジュエリーも多くご覧にいれたいと思います。
第1回 ジュエリーの歴史(古代~近世) を読む第3回 女性のためのジュエリーが誕生するまで を読む第4回 日本のジュエリー市場の特異性 を読む 山口 遼/Ryo Yamaguchi
宝石・宝飾史研究家
大学卒業後ミキモトに入社。退社後はアンティーク・ジュエリーの研究と販売に従事。真珠および宝飾品史の専門家として、新聞や雑誌に数多く寄稿。ジュエリーに関する著書多数。