賑やかな河原町三条とは思えない、心和む空間
みすや針があるのは、京都の繁華街、河原町三条。交差点から三条名店街のアーケードを西へ進むと、頭上に古めかしい看板が見えてきます。
ところが、看板の下はポップな商品が並ぶ、楽し気な雑貨店。「これはいかに?」。
よく見ると、雑貨店の脇に路地のような通路がありました。奥へ進むと、そこには小さな庭が。その庭の奥にいかにも京都らしい、みすや針のお店があるのです。周辺エリアの賑やかさを見る限り、よもや、こんなに落ち着いた空間があるとは、誰が想像できるでしょうか。
通路の奥には、心が和む空間が広がっていました。庭の奥に進むと、情緒たっぷりのお店にたどりつきます。「11月から3月はメジロが庭に遊びに来ます。いつもミカンを切って枝に刺しておいてやるんです。ウグイスも顔を見せますが、こちらは警戒心が強くてたまにしか来ません」と店主の福井 浩さん。京都の繁華街に、野鳥の憩いの場があったとは驚きです。
1651年に宮中の御用針司となったみすや針
みすや針の起源は1651年(慶安4)にさかのぼります。その年、福井さんの先祖は宮中の御用針司となり、1655年(明暦元)に後西院天皇により「みすや」の屋号を授けられました。みすや針の屋号の由来について「宮中では、針への清めと、秘術の製造技法を漏らさぬために、御簾(みす)の向こうで仕事をしていました」と店主。
店内のカウンターの後ろには、お店の起源を意識した上質な御簾が飾られていました。明治時代の京都ガイドにも登場
みすや針の店舗がある河原町三条は、東海道五十三次の西の起点である三条大橋の目と鼻の先。「当時は腐らない、かさ張らない、と旅人の京土産に当店の針が人気でした」(店主)。
歴史のある店だけに、逸話はいくらでもあります。その一例が銅版画師の石田有年による『工商技術 都の魁(みやこのさきがけ)』なる明治時代の書物。『工商技術 都の魁』は、あらゆるジャンルの京都の名店、宿などが紹介された、いわば観光ガイドでした。ここにもみすや針が登場しています。
「当時は針だけを販売していました。店頭でお茶をお出ししていて、情報交換の場でもあったようです」(店主)。
『工商技術 都の魁』に登場する、みすや針。よく見ると、版画の右端に湯を沸かすための茶釜が描かれています。(ともに国立国会図書館ウェブサイトより)『工商技術 都の魁』に描かれていた、当時の茶釜が庭に置かれていました。