●歌人の再読の書取材中、“韻文は再読、音読、暗誦するもの”と、話していた穂村さんが、たくさんあるという再読書のなかから選んだのは、ある特別な時代を生きた者たちの青春群像劇というテーマの3冊。
誰もが自己言及的な感覚を持っている現代は、真っ向から友情やラブシーンを書くことが難しい時代。そんななか、いずれもすごくはっきりした友情や情熱や愛や信義を描いている作品を選んだのは、きっとそういう作品が好きなんでしょうね、と、いいながら、熱いことばで語る3冊の魅力とは。
『東のエデン』杉浦日向子(ちくま文庫)杉浦日向子は江戸モノで有名な漫画家だけど、『東のエデン』は明治初期を描いた作品で、江戸をテーマにしたものとずいぶん違います。開国によってすべてが変革され、組み変わるこの時期は、何といっても日本の思春期、青春期で、そこに生きた若者の不安と期待みたいなものが鮮やかに描かれていて、僕はこの作品が圧倒的に好きなんです。明治への関心というよりは、日本がぐちゃぐちゃになっていることへの関心、ですね。
『麻雀放浪記』阿佐田哲也(角川文庫)明治の開国の次に、日本がぐちゃぐちゃになるのが戦後です。終戦直後から始まるこの小説は、主人公が16歳で麻雀の世界に入っていくんだけれど、一人ひとりのキャラクターがすごく立っていて、青春とか戦いとか愛情とか、いろいろな要素がすべて輝いているんです。初めて読んだとき、僕は全4巻、一気に読んだあと、その場で再読したんだけど、そんなことをしたのは生涯でこの本だけです。昨日も、今日のために本を手に取って読み出したらやめられなくて。麻雀を知らなくても大丈夫だし、恋愛や友情も、そのジャンルを得意とする作家が書き抜いたものよりも、めちゃくちゃ輝いていて。終戦直後は復員兵が帰ってくるとか、時代そのものに熱気があるから、思い切ったメロドラマも、全然恥ずかしくないんです。僕はわりと純文学が好きで、純文学こそおもしろいと思っているほうだけど、『麻雀放浪記』というエンタメはどんな純文学よりも輝いている、絶対読んだほうがいい傑作だと思います。
『ワン・ゼロ』佐藤史生(小学館文庫)この本は、世紀末のディストピア感とともに、主人公と仲間たちがある冒険を通じて成長していくという物語です。作品が描かれたのは1980年代で、漫画の舞台は1999年。作者は20年後を描いているけど、今、僕らが読むと、20年前のことになってしまうという……。今、そういう本はたくさんあるけれど、SFとして書かれたものが過去になってしまうという不思議な倒錯感も、僕が好きなテーマのひとつなんです。
西荻窪にて 穂村 弘/Hiroshi Homura
歌人
1962年北海道生まれ。歌人。90年、歌集『シンジケート』でデビュー。評論、エッセイ、絵本、翻訳と幅広い分野で執筆活動を行う。2008年短歌評論集『短歌の友人』で伊藤 整文学賞を、連作「楽しい一日」で短歌研究賞を、2017年『鳥肌が』で講談社エッセイ賞を受賞。近著に書評集『これから泳ぎに行きませんか』など著書多数。
取材・構成・文/塚田恭子 撮影/大河内 禎 撮影協力/Re:gendo