大学で教鞭を執るかたわら、翻訳家として、比較文学研究者として数々の文芸作品の翻訳書やエッセイ集を執筆されている管 啓次郎さん。20代から30代にかけて、研究者として長く海外で生活してきた管さんが、最初の詩集『Agend'Ars』を発表したのは2010年。
4×4=16行詩を、4×4×4=64編で1冊として、全部で4×4×4×4=256編の詩が書かれた『Agend'Ars』は、シリーズ作品として4冊の詩集にまとめられている。詩集のタイトルにもなっている気象と地形、地水火風をモチーフとした作品には、自然の持つ力や詩人がそこに読み取った野生の哲学が通底し、ペーパーバック風の装丁とも相まって、風通しのよいことばが読み手のなかをよぎってゆく。
高校時代に書いた詩が荒地派の詩人、木原孝一に注目されたものの、“20歳以降はずっと書いていませんでした”という管さんだが、第一詩集の刊行以降、コンスタントに作品を発表し続けている。海外の詩祭や朗読会、ワークショップに年に何度も招聘され、活動の場を広げている管さんに、まずはその作品を支える自然観から話をうかがった。
南に向かう川は忘れ川というんだって
いくらでも果実が降り注いでくる水面を泳いで行くと
びしびし大粒の雨が降ってきて
平泳ぎならつむじ、背泳ぎなら顔を打つのがいい気持ち
鰐もたくさんいるけど怖くないよやつら
小指ほどの大きさしかないから
(『数と夕方』「四川より」)左から『Agend'Ars』/『島の水、島の火 Agend'Ars2』/『海に降る雨 Agend'Ars3』/『時制論 Agend'Ars4』(すべて左右社)。――『Agend'Ars』の刊行は2010年ですけど、1994年刊行のエッセイ集『狼が連れだって走る月』にも、冒頭に詩が掲載されています。管さんは以前から詩を書かれていたのですよね。高校生の頃は書いていたけれど、その後、ほとんど書いていませんでした。詩が研究対象になると、なかなか自分では書けません。でも、10年前、そろそろ50歳だし、今、やらなければ書くときはないと思って、また詩を書き始めたんです。
――研究者としての仕事と詩を書くことは、思考のギアがだいぶ違う感じなのでしょうか。そうですね。水陸両用車みたいに行けばいいけど、全然別のところを走っている感じだから、モーターボートから車に乗り換えたくらいの違いはありました。高校のときに書いた詩を荒地派の詩人、木原孝一さんに褒めていただいたんだけれど、書きつづけるにはいたらなかった。それだけの素材がなかった。詩は、何を書いてもいいわけですけど、そうすると逆に書いて意味があるのは何かということになるわけで、まずは自分の経験をつくり出すことのほうが重要だろうと思っていました。いずれ詩を書くときが来ると思いつつ、あっというまに20、30年(笑)。
夏が過ぎたので、僕は十七になった。
燃えていた太陽でまばゆいイエロウに塗られていた空気を、一枚一枚と檸檬色
のベイルが蔽っていくと、空も、宇宙に果てなくつらねるような透きとおった群
青から、やがて、淡くやさしい水色に流れていった。
僕はまづしい雑音を歩み続けた。人々の行方に、独り逆らっていた。
(「ナインポンド・ハンマー」)――最初にアメリカに長期滞在されたのは、中学時代だったそうですね。長期ではなくひと夏ですけどね。ひとりでアイダホ州の農家にホームステイしました。それでともあれ、自分の周囲の空気と言語がガラリと変わる状況を体験できた。子どもの頃は自分の周囲しか知らないので、日本のいい場所もほとんど知らない。一方、アメリカはつねに全面的な魅力があった。まだその頃はね。たぶん僕らは無批判にアメリカ文化を受け入れた最後の世代なんじゃないかな。一方、詩集のタイトルにもしているけれど、僕は昔から地形や気象に興味があったんです。アメリカは大陸だからとにかく日本と景色が違って、そのときはロッキー山脈やイエローストーン国立公園に強く感動しました。
――詩歌は人間の感情に重きが置かれがちですが、地水火風をモチーフにしている管さんの詩は風通しがよくて、読んでいると風景や自然のほうへと誘われます。詩を書くときの主題にはいろいろな設定の仕方があって、自分の気持ちや生活を書いてもいいわけだけれど、僕はそういう詩にあまり興味が持てなかった。それは歌と音楽にまかせればいい。それよりも自然の力が人間にどういう影響を及ぼすかということに、つねに興味があるんです。特に近年は、確実な温暖化の進行とともに、地球上の各地でものすごいスケールの自然現象が起きていて、自然力のすごさを見せつけられているけれど、こうした出来事はつねに我々を覚醒させてくれます。人間は、地球というゴム風船のごく薄い膜の表層で暮らしていて、我々は実は何も知らないと。そういうことをわりと子どもの頃から考えていました。