バンド「画鋲」(宮藤官九郎、三宅弘城、よーかいくん)としても活動中。また2018年には、50歳を迎えるのを記念して、イベント『三宅ロックフェスティバル』を始動、早くも第3回まで開催している。――お芝居を始めたきっかけは、そもそも何だったのでしょう?
「昔から音楽が好きで、何か音楽に関わる仕事をしたい、できればバンドで食べていきたいとは思っていたんですけど、なかなか気の合うメンバーに巡り合えず、高校では体操をやっていました。卒業の時には、日本体育大学への推薦入学の話もあったんです。でも推薦枠が体操じゃなくて、水泳の高飛び込みだったので、お断りして一般の大学に進みました。そしたら大学3年の夏に、知り合いが「劇団健康」(ナイロン100℃の前身)の芝居を観に行こうと誘ってくれて」
――演劇に興味があったのですか?
「いえ、特には。ただ、ナゴムレコード(インディーズレーベル)を主宰しているKERA(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)さんが旗揚げした劇団だってことは、音楽雑誌を見て知っていたので行ってみたら、これがすごく面白くて衝撃を受けまして。で、チラシにキャスト募集と書いてあったので、就職どうしようかなあと悶々としていた頃だったから、オーディションを受けてみたんです」
――それまでに演技の経験は?
「もちろんゼロです。でも、自己PRの時に“僕、体操部だったので宙返りができます”と言ってバク宙したら、入れてもらえました(笑)。だから僕の場合、演劇がやりたくてこの世界に入ったわけじゃないんです。劇団健康という場所に、自分もいたいという気持ちだけだったんですよね。実際、しばらくは稽古場でも本番でも、“三宅、そこでバク宙して”っていう感じで、バク宙しかしてなかった時期がありますよ(笑)」