年も近く、仲の良い2人。お互いのライブにゲスト出演したり、スタッフとして参加したりしている。あるレストランでクリスマスの夜に繰り広げられる、ささやかないくつかのドラマを、生演奏の音楽とともに届ける小粋でおしゃれな音楽劇『ア・ラ・カルト』が30周年を迎えます。台本を手がけ、少年少女から老人まで変幻自在に演じ分ける高泉淳子さんと、抜群のセンスとテクニックで音楽監督と演奏を務めるヴァイオリニストの中西俊博さんに、たっぷり語り合っていただきました!
――30周年おめでとうございます。メンバーの入れ替わりや、本拠地にしていた青山円形劇場が入っていた公共施設「こどもの城」の閉館という危機もありましたが、初演からのメンバーであるお二人にとっては、どんな30年だったでしょう?中西俊博さん(以下、敬称略):僕自身もかなり変わったなと感じる30年でした。『ア・ラ・カルト』は僕にとって初めての音楽以外のジャンルとのコラボレーションで、随分影響を受けましたからね。やっぱりいちばん大きいのは、目に見えるモノや、言葉やストーリーとコラボすると、音楽だけで語るよりもずっと大きな力を発揮できる面白さを知ったことかな。
高泉淳子さん(以下、敬称略):私は正直、複雑な思いもあります。「遊◎機械/全自動シアター」という劇団をやりながら、それ以外の仕事もしてきた自分の中に、『ア・ラ・カルト』がこうやって残り続けるなんて、思いもよらなかったから。そもそも『ア・ラ・カルト』の前身は、劇団の番外公演。1989年から『ア・ラ・カルト』になって、継続していくうちに色々な意味で大きな存在になっていって……。思えば、それが劇団解散の流れに繋がったところがあるし、私自身、“もし『ア・ラ・カルト』を選んでいなかったら”と思うこともあります。お話をいただいたのにできなかった仕事が個人的にも色々ありました。
中西:わかる! 音楽の世界も、12月にはおいしい仕事がたくさんある……(笑)。
高泉:でもこの前、幼稚園から一緒だった友人達と還暦祝いで食事をした時に、こうなるべくしてなったんだなと気づきました。「この年になったら、車の運転もスケジュール管理も鞄持ちも、マネージャーとかにやってもらえるようになっているかなあなんて、若い頃は思っていたけど、いまだに全部自分でやってるんだよね」って、ちょっとこぼしたんですね。そしたら、“何言ってんの!? 俺達は、ずっとアウトサイダーでいることを好んでやってきた仲間。お前がテレビに出たり、表で車を待たせていたとしても、それをカッコイイと思うか? お前がさっき、自分ででっかいバッグを抱えて入ってきた時、拍手したかったよ”と言われて、思わず泣けてきちゃって。
中西:素晴らしい仲間だね!
高泉:だからやっぱり、選択肢がたくさんあった中で、自分で選んできた道だったんだなと。中西さんも同じでしょうけど、この『ア・ラ・カルト』では、自分が嫌なものはやれないし、諦められないし、稽古も含めてその期間は、エネルギーと時間を全部注ぎたいと思う。“時間もないし、もうこれでいいんじゃない?”なんてことにはならない場所なんです。
中西:みんながそう思っているから、擦り合せにはすごく時間がかかるんだけど、またそういう作業を楽しめるメンバーが揃っているんだよね。しかもそれを、このレベルでやれて切磋琢磨ができるというのは本当に貴重なこと。そういう意味でも、とても気持ちのいい場所です。