双葉町から全国各地へ、福島からハワイへ、富山から福島へ。3つの移民の話が重なることで、深みを増した映画について、「時間をきちんと描きたかったんです」と、中江さん。――タメを教えるのは、なかなか難しそうですね。タメというのは日本人の魂みたいなものだけど、なかなか理解してもらえません。だから、横山さんは「早くしないでね」って、わかりやすいことばで伝えようとしたんです。
――それでも双葉町に戻れない以上、ハワイに伝えることで、いつか双葉町に逆輸入できるかもしれないという気持ちがあるのでしょうか。各町会が一堂に会する「やぐらの共演」を続けるためだけでなく、ハワイに双葉町の盆唄を伝える、映像で記録するなど、いろいろなかたちで種を蒔いておきたい気持ちはあったと思います。
――自分で楽器を製作されるなど、言動からは感覚的な方に見えますけど、横山さんは先を見ている方なんですね。横山さんは、自分が生きているあいだのことではなく、次の次の世代のことを考えているんですよ。もちろん双葉町が残ってほしいという気持ちはあるけれど、もし町がなくなってしまっても、双葉町の盆唄や、みんなの気持ちや魂をどうやって残していけるか、そのことを考えて種を蒔いている。
――双葉町のみなさんがハワイのボンダンスに参加するシーンは大きな見どころですが、映画はそのあとも移民の歴史など、興味深い話が展開されていきます。福島からハワイへの移民のことだけでなく、江戸時代、天明の飢饉のときに、双葉町のある浜通りへ、富山から多くの人が移住した話は、彼らを追いかけるなかで知ったことです。すべて事実に即していますが、アニメーションを利用するなどフィクショナルな方法で撮っています。僕は監督としてお客さんに“双葉町は大変なんです、みなさんも考えてください”ではなく、“映画を見てよかったな”と、劇場を後にしてもらいたい。前向きな気持ちになってもらうために、移住者がいかにしてその土地に根づいたか、そのことを示したいと思ったんです。それは観客に対する責任であると同時に、映画を撮らせてもらった双葉町の人々へのメッセージでもありました。