沖縄で音楽をテーマに作品を撮り続けてきたその経験は『盆唄』の撮影に、大いに生かされたという。――「やぐらの共演」は、震災後初めて行われたそうですね。撮影を始めた頃は、みなさん、もう「やぐらの共演」はできないだろうし、自分たちはこのまま年を取っていくんだろうと諦めている感じでした。その後、撮影を続けるなかで、2017年の春頃、「やぐらの共演」の話が出たので、「僕らもしっかり記録するからぜひやってください」というと、「記録してくれるなら本当にちゃんとやるから」とおっしゃって。あのときは8つの町会が参加しましたが、横山さんたちにとっては、その違いを記録し、残しておくことが目的でした。
――映画を見ていて感じたのはカメラの力です。カメラがあることで、横山さんたちに行動を促したところはあったのではないでしょうか。それはもう最初から意識していましたね。カメラがあることでみなさんが動き出してくれたら、何より嬉しいなと。映画監督って、人の人生とかエネルギーとか、あらゆるものを奪いながら映画をつくり、生きているみたいなところがあるんです。でも、ただ奪うだけではなく、わずかでも自分たちにできることはないかと。カメラで記録することによって、それまでできなかったことを行う勇気を出してもらう、背中を後押しすることはできるのではと、今回はそのことをすごく考えました。
――映画は双葉町の住人だけでなく、19世紀末、福島からハワイへ、そして230年前に富山から福島へ移った、3つの移住者の姿を映しています。撮ると決めたとき、この撮影は30年続くのかなって本気でそう思っていたように、双葉町のことは5年、10年で答えが出ることではありません。映画として回答を出すためには、時間をきちんと描かなければいけないだろうと、そう思ったんです。先人たちはどうやってその土地に根づき、花を咲かせたか。それを示すことで、今、双葉町の人たちはつらいかもしれないけれど、50年、100年という時間のなかで考えれば、よかったと思えることもあるかもしれないと。映画の最後、暗闇のなかに組んだやぐらでの演奏シーンはみなさんに「今、ご先祖様も大勢ここに帰ってきていますよ」といって撮影しました。
――10分以上続く「やぐらの共演」の映像のあいだに挟んだ、かつての双葉町のモノクロ写真には胸を突かれました。あの双葉町の写真は、僕も見ていて切なかったです。日本ってこうやって大きくなって、豊かになってきたんだけど、原発事故は、それを一瞬で壊してしまった。僕は横山さんとふたりで、除染されていない彼の田んぼにも入っているんです。横山さんも僕も動物的な人間で、自然のなかでなら、自分の身に迫る危険くらいわかるよ、と思っています。でも、放射能は、危険という実感はないのに、メーター(線量計)の針が振れる。身に迫る危険がわからないのは自然物ではないからで、だから怖いことなのかもしれないと話していました。
――町内会ごとに唄い方や演奏が違うなど、盆唄は監督が暮らす沖縄のエイサーと重なる部分もありますね。沖縄で唄ばかり撮ってきましたけど、唄の魂みたいなところは一緒ですよね。僕は音楽と唄は別物だと思っているんです。音楽って産業的な側面もあるし、音の組み合わせなど理屈というか理の世界だけど、唄は微妙なこぶしが入ってずっとうねり続けるような、楽譜に表せない“何か”に魅力がある。優れた唄い手たちはみんな、しゃべっているように唄っているなと感じますし。福島と沖縄は、原発と基地の問題でも重なるところがあるし、『盆唄』は沖縄で教えてもらったことがなければとても撮ることができなかったと思っています。
中江裕司/Yuji Nakae
映画監督
1960年、京都府生まれ。大学の進学先だった沖縄にそのまま移住。1992年にオムニバス映画『パイナップル・ツアーズ』の一作を監督する。99年に監督した『ナビィの恋』は大ヒットし、その後も『白百合クラブ東京へ行く』、『恋しくて』など、音楽のウェイトの大きい作品を発表。また、那覇の中心部で映画館「桜坂劇場」を運営し、沖縄文化を発信している。
© 2108テレコムスタッフ 『盆唄』監督/中江裕司 撮影/平林総一郎
出演/福島県双葉町のみなさん、マウイ太鼓 声の出演(アニメーション)/余貴美子、柄本 明、村上 淳 2018年 134分 日本映画
2月15日より、テアトル新宿、フォーラム福島、まちポレいわきほか、全国順次公開
公式サイト/
http://www.bitters.co.jp/bon-uta/