親の最終段階を支えるためのケーススタディー
ケース(1)
親と最期の過ごし方について話すことをすすめられたが、切り出し方がわからない
Aさんの父は年の割にしっかりしていたのですが、90歳を超えるとさすがに体力が落ち、歩行も食事も不自由になってきました。
物忘れも進み、辻褄の合わない会話も増えてきて、同居のAさんも目が離せなくなっています。かかりつけ医から「そろそろ人生の最終段階の過ごし方を話しておいたほうがよいでしょう」といわれました。
Aさんも、意思疎通ができるうちに父と話しておかなければと思っていたのですが、いざとなると、亡くなることが前提の話を本人に持ちかける勇気がなく、なかなか切り出せずにいます。
【患者の心得】
“たまたま”のタイミングに便乗。一度で深くまで話そうとしない「これは縁起でもない話だ」とわきまえたうえで、自然の流れで重くならず話すことが大事です。
何気ない会話の中で本人から「お迎え」という言葉が出たときやテレビでその話題が流れたときなど共通の下地ができたタイミングに便乗して、「お父さんのときはどんな感じで過ごしたい?」とさらりと持ち掛けてみるのも手です。
相手の反応をみながら、心の準備が不十分だと感じたら一旦引っ込め、1度に深いところまで話し込まない気遣いも必要です。
また、何を望むかよりも嫌なことやしてほしくないことを尋ねるほうが本人もイメージしやすいかもしれません。
ケース(2)
人工呼吸器はどうしますか?と、医師に聞かれたが親と家族の思いが異なる
Bさんの母親(93歳)は3年前に骨折して寝たきりになってから、認知症もかなり進んでしまいました。
同居のBさんが自宅で介護を続けていたのですが、体力が落ちていたところに肺炎を起こし、緊急入院をすることになりました。
意思疎通もままならず、一時的に自力での呼吸が難しくなり、Bさんは医師に「人工呼吸器はどうしますか」と尋ねられました。
母親はかねがね「延命治療はしたくない」といっていたのですが、Bさんは今この場で人工呼吸器をつけない選択をすることに大きな抵抗を感じています。
【患者の心得】
家族として、そして代弁者として、“2つの声”を正直に伝える前もって本人の意思を聞いていたとしても、いざ直面すると家族がそのとおりに決断できないことはよくあります。
まず、医師の専門的な見解を聞く。そのうえで「母は延命治療は望まないといっていました。でも私は、そのような結論を出してしまうと自責の念にかられる気がします」と2つの声を正直に伝えながら、医師と合意形成をしていくのがよいと思います。
状況によっては人工呼吸器の装着によって一時的な呼吸困難が改善し、状態が安定する場合もあります。「延命治療はよくない」と単純に決められるものではないことは知っておいたほうがよいでしょう。
ケース(3)
リビング・ウイルは必要か?
Cさんは親の生前意思をリビング・ウイルで残しておくべきか迷っています。
【患者の心得】
文字で書くより“スマホで録音”文書の影響力は想像以上に大きく、内容が独り歩きしたり、医師が過剰に縛られてしまう弊害があります。
私(尾藤)は、そのような話になったときに、ご本人の許可を得てスマホなどで録音することをすすめています。
会話の流れや言葉を発した背景など微妙なニュアンスが残り、後で医師が聞いたときに思いをより確実に理解できますし、声紋で本人と証明できる利点もあります。