随筆家 大村しげの記憶を辿って かつて、京都の「おばんざい」を全国に広めたお一人、随筆家の大村しげさんをご存じでしょうか。彼女が書き残した足跡を訪ねて、生粋の京女が認めた京都の名店や名品を紹介します。
記事一覧はこちら>> 京都を旅するにあたり、京都ならではの場所や味に出会うために、私たちはなにを拠り所とすればよいのでしょうか。京都の情報を多数書き残した、随筆家・大村しげさんの記憶は、まさに京都を深く知るための確かな道しるべ。今回も彼女にまつわる名店を辿ります。
大村しげ
1918年、京都の仕出し屋の娘として生まれる。1950年前後から文筆をはじめ、1964年に秋山十三子さん、平山千鶴さんとともに朝日新聞京都版にて京都の家庭料理や歳時記を紹介する連載「おばんざい」を開始。これをきっかけに、おばんざいが知れ渡り、大村しげさんも広く知られるようになる。以来、雑誌や著書で料理、歴史、工芸など、幅広く京都の文化について、独特の京ことばで書き残した。1990年代に車いす生活となったのを機にバリ島へ移住。1999年、バリ島で逝去。 撮影/土村清治
雨の日の和装に似合う蛇の目傘
普段から和装を好んだ大村しげさんは時折、自著で雨の日の外出について書き記しています。誰もが避けたい雨の日の外出。ましてや和装ならなおのこと、と思いきや、彼女はその反対でした。
「雨が降ると、わたしはむしょうに出歩きとうなる。きものを常より短いめに着て、蛇の目をさして、利休をはいて、口もとのお紅をちょっと濃うして、ぶらっと町へ出る」(京の手づくり』講談社)
そんな大村しげさんは雨の日の清水寺の舞台に立ち、京都の風景を眺めるのが好きだったと、繰り返し記述しています。
日吉屋の店内には、和傘と傘づくりの技術を取り入れた照明が並びます。雨の日のきものと言えば、欠かせないのは和傘です。
「ほんまに、雨が降ると、どこへ行こうかと迷うほど、わたしは雨の京都が好きである。そして、蛇の目をさして歩くのが好きである。そやから、蛇の目の傘がなんぼでもほしいなって、(中略)知らん間に傘の道楽になってしもうた」(『京の手づくり』)
英国のVIPの歓迎にも用いられた日吉屋の和傘
一般的に和傘は岐阜産のものが知られています。しかし、京都には5代続く京和傘の名店・日吉屋があり、大村しげさんは3代目店主の西堀伊三郎さんを訪ね、傘づくりや店主の人柄を『京の手づくり』で紹介しました。
最初に竹の骨を組み合わせ、各部を糸で固定する一連の作業を「下事(したご)」と呼びます。写真は下事の工程の一つで、親骨と小骨を組み合わせ、固定している様子です。日吉屋は江戸時代後期の創業で、茶道家元の御用達となっている本式野点傘や、祇園の舞妓さんが愛用する蛇の目傘などを手がけています。英国のエリザベス女王やダイアナ元妃が来日した際、桂離宮で開催された歓迎のお茶会では日吉屋の本式野点傘が使われました。そんな逸話からも、日吉屋が京和傘の名店であることがうかがえます。
全体に紙を貼る胴張り(どうばり)の作業は熟練の技を要します。取材時に珍しい5尺の和傘の胴張りを見せてもらうことができました。なんと直径275 cmの大きさです。