左から『神様の住所』(朝日出版社)、『ゆめのほとり鳥』(書肆侃侃房)。――先ほどから、ガラケーということばが出ていますけど。『神様の住所』も『ゆめのほとり鳥』も、全部ガラケーで書きました。
――パソコンではなく、この小さな画面で、ですか?パソコンは持っていないし、小さい画面のほうが集中できるんです。周りが暗いなか、画面だけ明るいと、ほかに何も入ってこないので、私の場合、集中できます。その後、ガラケーが死んでしまったので、今はスマホで書いています。ガラケーは親指で、スマホは薬指1本で打ちますけど、親指と背中の筋はつながっているので、ガラケーのときはつねに背中が痛かったです。
――ドゥマゴ文学賞受賞記念対談のときに、小説を書いていたと話していましたよね。大学ではラジオドラマの脚本を書いていましたし、童話や小説を書いていたこともあるし、短歌を始める以前も、ずーっと何かは書いていました。文芸誌の新人賞に『天国行きのバスは今日も満員』という小説を応募したのですが、タイトルは好きだけれど、内容はまったく覚えていないんです。もしかしてタイトルだけでいいたいことが充分いえている? じゃあ自分はキャッチコピーのようなものが好きなのかと思って、そこから短詩形に向かいました。現代詩を書いて、詩人の井坂洋子さんに送っていたこともあるし、いろいろなペンネームで書いていましたが、すべてはことばで表現するための訓練でした。
――九螺さんの短歌を読んでいると、書き手の脳を媒介して意外なもの同士がつながることが、ことばの力であり、おもしろさだなと感じます。俳句でいう二物衝突ですね。俳句は短いから、ふたつのものやイメージの組み合わせ、その意外性が勝負というところがあるじゃないですか。
――俳句もつくるのですか。短歌をつくるために短歌の本だけ読んでいると、みんなと同じになってしまうので、少し違うものができるのではと思って、俳句の本を読んでいました。俳句は風景を切り取る系、削ぎ落とす系で、その潔さが好きです。短歌のベチャベチャしている感じ、与謝野晶子的な情念はあまり好きではなくて、短歌という器に哲学や論理的なものを盛りたいと思って、短歌で哲学することをコンセプトにしてきました。
――短歌を始めた当初から、そんなふうに考えていたのですか。それまでの私は、自分が溺れてしまうくらい、感情がいっぱいいっぱいだったんですけど、短歌を器にして感情を盛ると、ことばにする段階で、べチャべチャしたものがドライになるし、自分を客観視、整理することができたんです。一生活者として、溺れてしまっては困るので、最初は病院で処方箋をもらったように、必要に迫られて短歌をつくっている感じでした。たとえば部屋に本棚がないと、本を床にべチャっと重ねて置いてしまうから、本を探すのも大変だけど、棚があればよい感じで収まるわけで。短歌をつくる作業は、それと似ています。
――あと、結社に属さず、独学で短歌を始めたことも、九螺さんの特徴かと思います。私は他の人がいると、気持ちがつい、人間関係に行きがちなので、独りでやったほうがいいと判断しました。結社だけではありませんが、人がふたり以上いたら、政治的な力が働きます。もちろんそうじゃない人もいるでしょうけれど、私が結社に入ったら、トップの人が取ってくれそうな歌を先読みしてつくってしまう、そういう小者になってしまいそうで、自分が入ってもよいことはないと思ったんです。
――人間関係に気持ちが行きがち、と、いわれましたが、他人に甘えてしまうかもしれない自分を律するために独学という道を選択したのでしょうか。自分の人生がかかっているというか、人生そのものを言語化しているというか、趣味じゃない方向に行きたかったということです。誰々さん風の作品が書けたとか、与謝野晶子っぽくて素敵とか、それはそれで人間関係としてはおもしろいでしょうし、そのために結社に入っている人もいると思います。ただ、私の場合、そこで終わってしまうわけにはいかなかったんです。
――ドゥマゴ文学賞受賞のことばでも、書くことの覚悟を記していましたね。独りでもがいているときに掴むことば、その切実感が本物のことばになると思うし、趣味的なものになるのはいやだったんです。そのために組織には属さないことを選択しました。
根岸にて 九螺ささら/Sasara Kura
歌人
神奈川県生まれ。青山学院大学卒業。2009年春より、独学で短歌をつくり始める。2010年、短歌研究新人賞次席。2018年6月に上梓した『神様の住所』(朝日出版社)で第28回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞(選考委員は大竹昭子さん)。歌集に『ゆめのほとり鳥』(書肆侃侃房)がある。現在、新潮社のデジタル文芸誌『yom yom』で『きえもの』を連載中。
取材・構成・文/塚田恭子 撮影/大河内 禎 撮影協力/そら塾