現代の聖人ラザロを描く、映像による福音
ナビゲーター・文/平松洋子
ヨハネによる福音書11章、聖人ラザロ復活の奇跡。ィエスの親しい友人ラザロが病に倒れ、見舞いに訪れると、すでに4日前に葬られていた。死を悼むイエスが「ラザロ、出てきなさい」と墓前で言うと、ラザロは蘇生し、布に巻かれたまま出てきた。
本作に登場する貧しい青年ラザロは、生成りの半袖のシャツと腰に紐を通した茶色のズボンを着続けているのだが、その姿はまさしく布に巻かれて蘇った聖人に重なる。
械れを知らない無垢な瞳。静謡な表情。物静かな立ち居ふるまい。特別なところがまるでないのに目が離せず、寓話世界の内部へ誘われてゆく。
20世紀後半、渓谷によって外部から隔てられたイタリアの小さな村。村人たちは小作制度が廃止されたことを報(しら)されず、領主の候爵夫人によって半奴隷状態のような生活を強いられ、極貧に喘いでいた。
そのうちのひとり、タバコ農園で働く孤独なラザ口は、欲望や怒りや疑いを持たず、見ようによっては愚鈍と背中合わせの平凡な人物だ。だが、不思議なのは、彼のまわりに渦巻く欺瞞や矛盾、薄汚い世俗の匂いさえ浄化されたものとして映ること。
お互いを搾取し合う村の男女、ラザロを利用しようとする候爵夫人の息子タンクレディ、村から出て詐欺集団にくわわった旧知のアントニアと家族たち......
悪に片足を突っ込んでいながら、ラザロという全(まった)き善を通じて、みな寓話の登場人物の役割を任じている。私たち観客もまた、聖人の尊い指に触れているかのようだ。