WEBからの応募方法をすぐに見たい方はこちら1月、雪深い林の中を歩くお二人は、青森ヒバでかごを編む日本唯一の職人、柴田円治さんと、パリ在住の世界的アーティスト、河原シンスケさん。
日本三大美林として名高い青森ヒバを用いた希少な手仕事と、パリに根ざした美意識が響き合うとき――。家庭画報オリジナルの世界に一つだけのかごバッグが、ここに誕生しました。
柴田さんの管理、育成に努めてきた「大畑ヒバ施業実験林」の中を歩く二人。柴田さんの人生が詰まった林の中で、すがすがしい空気に包まれ、ヒバ談議に花が咲いて。希少な青森ヒバのプロフェッショナルを訪ねて――
「青々としたヒバの森が連なっているところ」からその名がついたとされる青森県。
県木にも指定されている針葉樹、青森ヒバは、木曽ヒノキ、秋田スギとともに日本三大美林の一つとして知られています。その特徴は耐久性。ほかの木に比べて圧倒的に腐食に強いため、古くから中尊寺金色堂や出雲大社といった神社仏閣の建材としても重宝されてきました。
直径50センチになるまでに約200年、直径1メートルまで育つには約300年――。ヒバが成木になるまでには、気の遠くなるような年月を待たなければなりません。これは実にスギの3倍。この年月は、ヒバがいかに貴重な木材であるかを物語ります。
そんな青森ヒバでかごを編む唯一の職人が、下北半島のむつ市にいます。柴田円治さん、86歳。1953年から40年にわたって青森営林局でヒバ実験林を見守り続けてきた柴田さんは、定年退職後、ヒバの採材時に出る端材を利用してかごを編むように。誰よりも青森ヒバを愛し、誰よりも青森ヒバを知る者として、材料から手作りし、一つ一つ手仕事でかごを編む毎日です。
もともとお父さまが「日本のかごの故郷」と呼ばれる岩手県一戸町出身で、父親の手業を幼い頃から見てきた柴田さんにとって、青森ヒバでかごを編む、という発想はごく自然に生まれたといいます。
柴田さんの工房には、ヒバ材が大量に保管されています。なかでも最高級の青森ヒバは、乾燥を防ぐために水に浸して保存。今回、青森ヒバの家庭画報オリジナルバッグを製作するにあたりパートナーとなったのは、アーティストの河原シンスケさん。パリ在住30年を超える河原さんは、エルメスやルイ・ヴィトンなどとのコラボレートでも知られ、世界各地で創作活動をしています。
経済産業大臣賞を受賞した柴田さんのかごバッグを見ながら、家庭画報オリジナルバッグのサイズやテープの太さなどを相談する二人。