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詩人の再読の書。平田俊子さんが立ち返る、この3冊(後編)

2019.05.28

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「ことばの世界」 “作品は、まったく何もないところから生まれるものではなく、先行する文学作品の影響をさまざまなかたちで受けながら書かれるもの”とは、多くの書き手が口にすること。作家が立ち返る場所としての大切な本、繰り返し読んでしまう再読の書を挙げてもらいます。平田俊子さんのインタビュー前編を読む>>>


ベースにことば遊びがあるからなのか、平田さんの作品は、ご自身に起きたことをモチーフにしていても、私小説的なリアリズムの色合いはない。印象に残るのは、シュールな笑いだ。乾いたなかにも苦味や哀しみを含むユーモアは、読んでいると、じんわりと滲みてくる。

詩は、書き上げたあと、しばらく寝かせてから読み返すことが必要だと、平田さんはいう。“時間を置いて詠み直すと弱点が見えてきます。弱点を補強しながら完成させていく。わりに手間ひま掛けて書き上げてるんですよ”。詩人の文章は、詩だけでなく、小説でも、エッセイでも、ことばが研ぎ澄まされているのは、ひとつの作品とじっくり向き合い、推敲することが習慣化されているからなのだろう。


小説を一本書き終えた
一七〇枚になってしまった
こんなに長くする必要はないのに
書いているうちにどんどんのびた
あしたは父の命日だ
生きていたら七十四歳
命日を前に書き上げることができたのは
父が力を貸してくれたからだろう
手帳を見ると去年のきょうも
小説を書き終えている(一五〇枚)
お父さんいつもありがとう
来年もよろしくね

『詩七日』 「八月七日」より



 

話題もつきたようだし、そろそろ電話を切ろうと思っているところに諏訪が新たな話題を提供した。
「ところで百年前のピアノがあるんだけどさ、誰か預かってくれる人いないかな」
「百年前のピアノ?」
「そう、フランス製」
飢えた魚のように好奇心が易々と釣り上げられた。そんなの聞いたことがない。いったいどんなピアノだろう。

『ピアノ・サンド』より

――平田さんが最初の小説を発表したのは2003年です。

同じような詩しか書けないなあ、もうやめてもいいのかなあと、詩との倦怠期に入っていた時期に、「群像」の編集の方が、声をかけてくださったんです。小説を書きたい思いは以前からうっすらとありました。それで恐る恐る書いてみたのが『ピアノ・サンド』です。恋愛を書いているんですけど、その頃、苦しい恋愛をしていて、やっぱり苦しみって作品のネタになるんですね(笑)。もちろん小説として成立するようにアレンジしていますが。小説と詩の違いは、なんといっても長さです。小説は長湯に浸かっているような、快感なのか、苦痛なのかよくわからない感じがありますね。詩よりはるかに長い時間、ひとつの作品に向き合い、ことばを探す苦しさ。それも含めて新鮮でした。


『ピアノ・サンド』(講談社文庫)。


――詩との倦怠期のことは、『詩七日』のあとがきでも書かれていました。

小説(を書いていること)についての詩も『詩七日』にありますが、その小説はボツになってしまって。ショックでしたね。詩の場合、まずボツになることってないんです。小説の世界は厳しいなあと思いました。

――タイトルから、初七日を連想したのですが、(これが)詩なのか、という意味だったという……

『(お)もろい夫婦』のような詩を書いていると、これは詩ではないだろうと批判されることもあるんです。私は詩って懐が深いものだと思っているし、いかにも詩です、という顔をしたものにはあまり興味がなくて。批判に屈するつもりはありませんでしたが、自分が書いているものは果たして詩なのか、詩って何なんだという自問の意味で『詩七日』というタイトルにしました。納得できる作品を書くためには、想像力を駆使して自分にとって未知の場所にいくこと、適当なところで妥協しないこと、そういうことを意識しています。

――最初は手で書かれるのですか。

大体そうですね。まず紙にことばをどんどん書きつけるほうが、脳が活性化されるんです。最初からパソコンだと、ことばがペタンとしてしまって、想像がひろがらないんです。

――話は飛びますが、『スロープ』は、第2次大戦で亡くなった伯父上の慰霊巡拝のため、ソロモン諸島を訪れたことが小説の柱になっています。

昭和18年7月、ソロモン諸島のコロンバンガラ島沖で日本とアメリカの艦隊が戦ったとき、10代の伯父が乗っていた「神通」は探照灯照査を実施します。敵に探照灯を当てることで「神通」は自分の居場所をさらすことになり、集中攻撃されて沈没します。乗っていた人はほとんど亡くなり、伯父の遺骨も帰って来ませんでした。私は昭和30年生まれで、子どもの頃は、戦争は遠い昔のことだと思っていました。大人になると、自分が生まれるたった10年前まで日本は戦争をしていたんだなあと思うようになり、戦争を身近に感じるようになりました。『スロープ』を書いているうちに伯父のことが気になってきました。コロンバンガラ島にも行きたくなりましたが、普通の旅行社にはそういうツアーはないんです。いろいろ調べるうちにソロモン諸島のいくつかの島をまわる慰霊の旅があることを知って、それがまもなく出発で。踏み石をポンポンとわたるような感じで行くことができました。



――作品を通じて、人の動き、流れが描かれているという印象を受けるのは、平田さん自身のフットワークのよさや、引っ越しの多さも影響しているのでしょうか。

人や時間の流れで小説を動かしていきたいという思いはありました。父の仕事の都合で子どものころから2〜3年ごとに引っ越してきたせいか、人は定住できないもの、人と人との関係は移ろうものという意識はありますね。18歳で一人暮らしをするようになってからもわりとよく引っ越しをしてきましたが、最近は荷造りがめんどくさくなって。気付くと10年も同じ部屋にいます。ネットで部屋を探すのは好きで、部屋の真ん中にバスタブがある部屋とか、ちょっと変わった物件があると見に行ったりしてしまいます。

――詩、小説だけでなく、平田さんは俳句や短歌も手がけています。

そんな大げさなことではなくて、時々句会や歌会を楽しむ程度です。俳句や短歌は定型で音数が限られているところが魅力でもあり、難しさでもありますね。俳句は季語を入れると自分の自由になることばは少ないけれど、季語を上手く使うことで世界がぐんと広がるおもしろさがあります。最近、若い人のあいだでは短歌が人気ですね。皆さん気軽に詠んで投稿して、にぎわっている感じです。現代詩はそういうにぎわいから離れています。詩は、それぞれの書き手が自分の文法で書いているので、共通した読み方ができにくいんです。詩を書いてる人でも、他人の詩はよくわからない。そういうこともあって短歌ほどたくさんの書き手や読み手を得られないのかなと思います。


左から時計回りに・『低反発枕草子』(幻戯書房)、『私の赤くて柔らかな部分』(角川書店)、『スロープ』(講談社)。

――短歌は感情と結びついているので読みやすい、という面があるのでしょうか。

短歌は自分の感情を盛り込むことが許されているんじゃないでしょうか。詩も昔はそうだったはずですが、自分の思いを率直に吐き出す詩はあまり書かれなくなりました。構造が複雑な詩が評価されるみたいです。私は平明なことばで一風変わった世界を描けたらと思っていますが、私の詩でさえ難しいといわれることがあるので考えてしまいます。

――世間や常識にとらわれず、そこを疑うところから発するのが、詩の魅力という気もするのですが。

今は“共感”が時代のキーワードらしくて、大学で教えていたときも、共感されるものを書きたいという学生がたくさんいました。人の気持ちを傷つけないよう気を遣うのと同時に、人に認められたいんですね。共感してもらうことが目的になると、作品が小さくなりがちだよと話しましたけれど、どこまで伝わったかわかりません。誰も理解してくれなくても、自分が書きたいものを書くという姿勢が大事だと思うんですが。

――読売新聞の「こどもの詩」で、選者をされていますが、子どもたちの詩はどんなふうに受け止めていますか。

とりわけ小さい子どものことばに驚かされます。感じたことをそのまま書いたり口にしたりしているのでしょうが、作為的でないところがいいんです。小学校高学年あたりから物事をしっかり考えるようになって、それもまた愛おしい。人ってこうやって成長していくんだなあと、子どもたちの詩を読みながら感じ入っています。

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