――服部さんは高校時代、演劇をやっていたそうですね。はい。高校で、初めて自分の作・演出で舞台をつくったのですが、それがすごく楽しかったので、大学に行ったら、自分で劇団をつくって演劇をやるんだと決めていて。演劇が盛んで歴史もある、早稲田大学に入学しました。
――俵 万智さん、林あまりさん、東 直子さんと、学生時代、演劇をやっていた歌人の歌は、虚構との親和性が高いような気がします。演劇の何よりの特徴は、生身の人間が演じることです。虚構ではない生身の人間が、目の前の現実の空間で虚構を演じることで、虚構が現実に見えてしまう、あるいは虚構を現実に見せようとするところはあるのかもしれません。
――演劇をやるつもりで入学した大学で短歌を始めたのは、どういう経緯からですか。高校時代から摂食障害で拒食と過食を繰り返していたせいで体力が落ちてしまって、人を集めて何かすることや、戯曲を書くことができなくなっていたんです。そんなとき、入学後のサークルの新歓活動で、たまたま早稲田短歌会の小さなビラをもらったんです。そのビラに活動内容として、“週1回、歌会をしています”とあったんです。
歌会というのは、自作の短歌を一首ずつ持ち寄って批評しあう会ですというような説明もあったのかな。それに反応したんですね。創作をする人間は、他者の反応がほしいじゃないですか。自分が書いたものにコメントがもらえるなら、ぜひそれを聞きたい。短歌をつくったことはありませんでしたが、31音なら何とかなるのでは、と歌をつくり、歌会に参加したのが始まりです。
あと、顧問・佐佐木幸綱先生という名前でした。小学生のとき、『百人一首をおぼえよう』という本を母にもらっていたんですけど、その本の著者として見覚えがあったんですね。本を書いた人に会うことができたらいいなあ、と。
――最初の歌会でいわれたことは覚えていますか。そのとき、“花びらはためらいがちな言葉だから傘をいっぱいに開いて聞くの”という歌をつくったのですが、“開いて聞くの“の“の”は甘えた感じがするとか、“傘をいっぱいに〟は字あまりで、気持ちがいっぱいな感じが出ていますね”とか、歌へのコメントが“何を”よりも、“どのように”表現するかに集中したことに驚きました。
“どのように”について、ほんの小さな、自分では意図しなかったことを、みんなが微細に拾ってくれる、しかもそれが的を射ている。普通、“何を”いうかにその人の本質が現れると考えられがちですが、この歌会は、“どのように”から私の本質を汲み取ってくれて、それが“何を”よりも深かった。それ以上に、メンバーの話がおもしろくて、その場が楽しくて、また参加したいと思ったんです。
――冷やかしのつもりで足を運んだ歌会に魅かれてしまったという……。実は昨年の秋に体調を崩してしまい、体力的に引き受けられそうなものをのぞいて、短歌の仕事のほとんどを休んでいるのですが、こうしていろいろなものを手放さざるをえなくなったとき、心に浮かんできたのは、「歌会に行きたい」という思いだったんですね。新人賞に応募して、賞を取って、歌集を出して。いつの間にか、褒めてもらいたい、評価してもらいたいと、そんな気持ちが混じってきてしまっていましたが、今回、取材の話をいただいて、短歌を始めた頃のことを振り返っていたら、私が本当に好きなのは歌会で、歌会に参加したくて歌をつくっていたこと、自分の原点は歌会でみんなと短歌の話をすること、それが楽しかったのだと気がつきました。12年かけて、やっと元の場所に戻ってくることができたんです。
――歌会に参加することは、そこで人とのやりとりがあるということですよね。はい。短歌にはいろいろな道の歩き方があって、ずっとひとりで書き溜めて歌集を刊行する人もいます。私のように歌会が好きというのは少数派かもしれません。あと、正確にいえば、私は2006年、短歌に出合ったというより、早稲田短歌会に出合ったんです。
学生短歌会は、週に1度、時に2度、ほぼ同じメンバーで歌会を行います。年齢は多くが20代前半でだいたい同じ、他大学の人もいますが、多くのメンバーが同じ大学に通っていて、ということは育ってきた家庭の経済レベルや環境なども近いはずで、ある意味かなり似た人たちが、31音しかない表現についてガンガン批評をし合っていると、いやでも何か研ぎ澄まされた思想性が出てくると思うんです。
――1、2年生のときは2~3人しか参加者がいないこともあった歌会が、3~4年になると、20~30人になっていたそうで。その意味で、私はまさに早稲田短歌会の隆盛期にいました。歌会は無記名でやるのですが、参加者が2人しかいないと、当然(相手の歌が)わかってしまうので、そういうときはその辺りにある歌集から歌を引いて、ダミーとして入れるんです。“この歌は塚本邦雄的ですね”と、いわれて、それは塚本の歌を引いているので、当然そうです、みたいなことがあったり(笑)。
学生短歌会が隆盛を迎えた理由は、よくわかりません。きちんとした調査をしたわけでもなんでもないので、こういうことをいってしまうのはとても怖いのですが、短歌を選ぶ人の増えてきた時期は、上手く機能しない家とか、家族の問題が表面化してきた時期と重なっているのではと思うときがあります。もちろん、そうでない人たちもたくさんいるはずです。ただ、短歌は叫びたくても叫ぶことのできない人が選ぶ、抑圧された痛みを叫びやすい詩形なのかもしれないとは思います。
――格差が広がる社会で、社会詠(しゃかいえい)が増えているという話も聞きます。学生短歌会の歌会に出てきた歌の多くは、一般的に社会詠と呼ばれるものとはだいぶ違いましたが、根っこの部分は同じかもしれません。
家族はひとつの枠ですし、短歌も5・7・5・7・7という枠があり、その枠のなかで上手くやっていこうという感覚があるのではないか、と。変なたとえですが、吐きそうになって、吐いていいよといわれたとき、下に何もないとうまく吐けないけれど、洗面器があると吐くことができるように、枠があると表現しやすい。あの、誤解しないでいただきたいんですが、あくまで吐き出すときの感触をたとえているのであって、短歌が吐しゃ物のようなものだとはぜんぜん思っていません(笑)。
苦しみを上手くことばにできないのは、家族は愛で結ばれた共同体だという幻想、神話があるからです。そういう社会の抑圧や思い込みによる苦しみが、枠があることによって、直接ではなくても、なぜか表現できてしまうのだと思います。
代々木公園にて