書くことをすすめられたという瀬戸内さんから聞いたエピソードやご自身の記憶をもとに、小説は半世紀前から現在まで、母上と瀬戸内さんをモデルにした2人の女性の視点で交互に語られてゆく。
「母だけでなく、寂聴さんの視点も自分で書くなんて、そんなことできるのか、すごいことを思いついてしまったなってビクビクしましたけど(笑)、そうしなければ意味がないと、これも腹をくくりました」
虚実を交えた小説のなかで、書かず、語らず、ことばを残さなかったがゆえに、読み手にひときわ謎と魅力を残すのが、母上をモデルに造形された女性・笙子だ。
本作のなかで、夫・篤郎の初期の短編を書いていたのは笙子だったと記されているが、
「これは事実で、私も最初に聞いたときはびっくりしたんです。母がなぜ、自分の名前で書かなかったのか。そのことについてはすごく考えましたが、きっと母は、本当のことは決して誰にもいわないと決めていたのだと思います」と、荒野さんはいう。
謎は謎のまま、敢えて明かすことなく受け入れ合う。そんな家族のあり方が伝わる作品を読んでいて頭をよぎったのは“小説的な一家”ということばだ。
「父と母は仲がよくて、いつもいっぱいしゃべって、笑って、おいしいものを食べて。でも、その裏で父には別の女性もいて。何が、というのではなく、でも何かが歪んでいるこの家で育ったことが、私の小説家としての素地になっていると、そう思います」
『あちらにいる鬼』
井上荒野 著/朝日新聞出版 1600円
1966年。四国での講演会で、作家の白木篤郎と一緒になった新進の女流作家・長内みはる。その後7年間の不倫を経て出家した彼女と白木、そして白木の妻・笙子の関係性が映し出す彼らの生き様を、長女の視点で描いた渾身の作。 表示価格はすべて税抜きです。
取材・構成・文/塚田恭子 撮影/阿部稔哉
「家庭画報」2019年7月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。