特別寄稿「軽井沢は終の棲家」―姜尚中
小さな部屋なので「勉強部屋」と呼んでいるという書斎。ここにあるのは使用中の本のみで、多くの蔵書はトランクルームに保管している。軽井沢と聞いてすぐに思い浮かぶのは、「ハイソな」人たちの、日本有数の別荘地というイメージではないでしょうか。
私もそうでした。どこか近寄りがたい、しかしどんなところか、一度は訪ねてみたい。軽井沢は、私にとってはそんな所でした。
ただ還暦を迎え、同時に家族の不幸や東日本大震災などが重なり、私は妻と一緒に何かに吸い寄せられるように夏の軽井沢にドライブすることになったのです。
伏線はありました。生前何度か対談の機会に恵まれた評論家の故・加藤周一さんの自伝的な『羊の歌』を通じて高原の豊かな自然に触れていたからです。
『風立ちぬ』で有名な堀 辰雄との淡い交流などを綴った加藤さんの名著は、夏の束の間のひと時の美しい思い出を描いて出色でした。
木漏れ日が悪戯っぽい妖精のように踊りながら、キラキラと深緑の木々の間から顔を覗かせる光景は、印象派の描く世界以上に鮮やかだったのです。
ただし、反骨精神の塊だった加藤さんがこよなく愛した世界一のアジール(自由な聖域)は、軽井沢ではなく、追分でした。戦前、加藤さんの目には軽井沢は、帝都・東京の夏の延長のような場所に映っていたのでしょう。