武士の食卓にものぼった梅
平安時代には病気にならはった村上天皇が梅漬けで回復されたとか。鎌倉・室町・戦国の世では武士の食卓にものぼり、合戦の保存食として重宝されました。梅といえば菅原道真公。梅が本当にお好きだったようで五歳で梅の歌をお詠みになり、絶筆とされる漢詩も梅を詠んだ ものだそう。
お住まいの天神御所は別名「白梅御殿」、別邸は「紅梅御殿」といったそうですし、左遷の際詠まれた「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな」はあまりにも有名です。梅の核も道真公を指す、“天神様”といいますしね。
茶室にかかる掛け軸は霊元帝御宸筆の五月雨久、橋と蛍の二首。画は住吉具慶。
そういえば日露戦争のとき握りめしと梅干しだけで進軍する日本人に驚き戦後ロシア人は梅干しを研究したそうです。梅干しの中にエネルギーの素みたいなんが入ってんとちゃうか、と思ったらしいですね。