お彼岸の間は精進料理。ぼた餅は中日に
そんな京都人ですから、お彼岸は特別に大切な日。お彼岸の入りにお墓参りをして、ぼた餅をお供えしたものです。忙しくなった今でもお彼岸の間には必ずお参りするようにしています。僕が子どもの頃は、母がお彼岸の中日にぼた餅を作ってご近所や親戚に配っていました。僕もよくお使いに出されたもんです。
なぜお彼岸の入りではなく中日かというと、親戚でだぶってはいけないということなんです。入りの日は分家のおばちゃんが作って配る。中日は母が作って配るといった具合です。そしてお彼岸の間は毎年精進のおすしを作ってくれました。しいたけやお揚げさん、かんぴょうにれんこんといった材料で作る素朴な、ほんまに家庭ならではのおすしですね。上には黄ゆばという乾燥ゆばをもどして散らす。これは錦糸玉子代わりなんですね。
「精進ちらし」
お彼岸の間に必ずいただいたという精進ちらし。酢めしに刻んだお揚げとかんぴょう、高野豆腐を混ぜ、その上にもみのりとごまを散らし、さらに炊いたしいたけ、酢漬けのれんこん、黄ゆば、きぬさや、がりしょうがをのせる。懐かしい、家庭の味。
おかずもひろうす(関東ではがんもどきいうのですか)の炊いたものや、生麩とゆば、しいたけを炊き合わせた精進炊きといった、精進のものが食卓にのぼりました。
そうそう、親戚の中にその年亡くなったかたがいはると、初彼岸ゆうて親戚一同が集まったものです。今は面倒がって法事もあまりやらんらしいけど、それってどうなんやろうな。誰それさんの何回忌といって親戚が集まって話をするのんは大切なことやと思います。 親戚のおっちゃんやおばちゃんがいる間を兄弟、いとこたちとわぁわぁいって駆け回ったり。あんまりうるさいといちばん恐いおっちゃんに怒られたりしたな。そうやって家族の絆、家族のありようを自然と感じたり考えたりしてたんやと思うわ。
そんな席で「あんたは本家の長男やからしっかりせんとあかんえ」といわれたものです。「本家の長男は父親と一緒。あんたが親族を束ね、いとこたちを守(も)りしていかな」と。自然と大人になる覚悟というか、心構えができた気がします。