【特別対談】
中村桂子さん(生命誌研究者)× 土井善晴さん(料理研究家)
生命誌研究者として、日々の「暮らし」を大切に考える中村桂子さんと土井善晴さんとは旧知の仲。
「中村先生の心豊かで温かみ溢れるお話に心動かされ、手紙を書いて大阪まで会いに行ったのです」(土井さん)。
お雑煮、お餅つきから、手をかけて料理することの意味までお正月の話を中心に、話題は多岐にわたりました。
書家・石川九楊さん筆の「寿」の額が掛けられて新春を寿ぐ。中村さんのきものは志村ふくみさんの作。中村 お正月は、何もかも新しくなる感じを共有するときでしたね。
土井 部屋の空気まで変わったような節目を感じました。清々しくて気持ちよくて、身につけるものは全部新しくして、ちょっと恥ずかしいんですけど、それを当たり前だと思っていました。
中村 数え年のときの特別感は薄くなってきましたが、あの新しくなるという気持ちは、いつまでも大事にしたいですね。
お雑煮にはハレとケが込められている
中村 毎日食べない人はいませんし、誰もが関心を持ちますでしょ。それを考える土井さんのお仕事、羨ましい。
土井 日本では、食べることだけが価値のあることで、家のご飯を作る人は重視されてこなかったんです。「作る」ことより、豪華だったらいいと。お正月だからこそ簡単なものでいいから、手作りしていただきたいです。食事とは、食べるだけじゃなくて、作る人と食べる人があって初めて成り立つもの。その両者を経験することで、気づく力が身につきます。
中村 具体的に「一汁一菜」とおっしゃった。お椀にいろいろなものを入れて、ああこれでおいしいと納得しました。お雑煮って一汁一菜の典型じゃありませんか?
土井 そうなんです。お雑煮に、必要な一汁一菜のすべてが入っています。地方に行きますと、お正月は特に具だくさんです。
中村 その土地のものが入って。
土井 味つけは澄んだきれいなもので、かつおや昆布といった上等なものがなければ、味噌汁を布漉しした「味噌すまし」をだしにして餅を煮るところもあります。
中村 それは珍しいですね。
「親がしてきたことはいつの間にか子どもの心に残るものなんですね」
土井善晴(どい・よしはる)さん
1957年大阪生まれ。料理研究家。十文字学園女子大学教授(食事学)。スイス・フランスでフランス料理、大阪「味吉兆」で日本料理を修業。土井勝料理学校講師を経て92年「おいしいもの研究所」を設立。命を作る家庭料理の本質と持続可能な日本の食を発信。『一汁一菜でよいという提案』は16万部のベストセラーに。土井 お正月には、それぞれの地方で独特なお雑煮があります。お餅の代わりにお豆腐が入っている徳島県祖谷のお雑煮などは、本当に素晴らしいものです。お餅さえあれば新年が迎えられます。「雑煮」は“雑”と書くでしょ。どうしてかと長く考えていたのですが、お雑煮は、ひと椀にハレもケも全部あるんです。正月って実は、蘇生のための三が日です。雑の字はハレとケの総体で、いいことも悪いこともすべてある。一休さんが「門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」と詠んだのも、正月の本来の意を汲んだもののように思うのです。
中村 お正月ってハレだけかと思っていましたが、ケも入ってみんな一緒にという意味なんですね。
土井 生きていることはいいことも、悪いこともあるものだと。1年一生懸命仕事して、お正月には、神様をお招きして休息します。
中村 今年は、そういう気持ちでお雑煮をいただこうと思います。
土井 それぞれの家によって違うお雑煮があるのは、お餅の食べ方をそれぞれが工夫したからなのです。そういう意味では、これからもあらためて、家族のために新しいお雑煮を考えてみるのもいいと思うんです。
中村 お雑煮記念日ですね!
あん餅雑煮で始まる土井家のお正月
土井 うちはあん餅雑煮です。
中村 あん餅雑煮?
土井 父が四国の高松ですから、あんこが入っているんです。
中村 粒あん! 丸いお餅にあんが入ったお雑煮。なんか私......。
土井 先生、ちょっと嫌な顔されませんでした?(笑)
中村 大福は大好きなんですけれど......。
土井 大福はだめです(笑)。あん餅を白味噌のおつゆに入れます。
中村 まあ(苦笑)! 全国一珍しいお雑煮じゃありませんか(笑)。
土井 それがないと私はお正月が来た気がしないんです。高松はさとうきびができる最北端。砂糖はもともと薬で貴重な贅沢品ですから、お餅の中に隠すわけですよ。
中村 お餅の中に隠す! ははあ、生活の知恵ですね。
土井 昔は砂糖の入ったあんと、塩だけの塩あんと2種類作って、見つかると「いやこれは塩しか入れておりません」といったとか。
中村 で、自分は甘いあんを食べる。意味深い歴史ですね。
年に一度のお餅つきの醍醐味
土井 あん餅は売ってないので、自分で作るしかない。ですから子どもの頃からお餅つきをやっていました。東京に来てからも、ずっとお餅つきをやり続けています。
中村 私もお隣のお陰でやっています。うちは世田谷ですが、お隣が臼と杵を出してくださって、近所の人と一緒に餅つきするんです。隣近所、ここに暮らしている一体感がするんです。つきたてのお餅のおいしさはもう格別!
「お正月料理を作るとき、母がやっていたことが思い出されますね」
中村桂子(なかむら・けいこ)さん
1936年東京生まれ。東京大学大学院生物化学修了。生命科学を地球の歴史や生態系に結びつけて考える“生命誌”を提唱。三菱化成生命科学研究所部長、東京大学客員教授などを歴任。現JT生命誌研究館館長。『生命とは何か』(講談社学術文庫)ほか著書多数。土井 つき上がったお餅の白さも格別で「お餅というのは神様や」と昔の人がいっていたのがわかります。通りがかりの近所の人も、みんなで分け合って食べますね。
中村 集まって協力するところが楽しいですし。
土井 タイミングがよければ、いいことがあります。お餅つきは家の仕事ですから、気合いが入ります。でないと、危ない。
中村 調子が合わないとだめなんですよね。返すのとつくのと。
土井 大人が真剣なのを見て、子どもはいつもと気配が違うとすぐにわかる。いつものように遊んでもらえないし、ふざけたらだめってわかるんです。で、自分も何か役に立ちたい、お兄ちゃんのように強くなりたいって思うんです。
中村 なるほど。
土井 毎年、その子たちの成長がはっきりわかります。
中村 コミュニティの中の一員として成長していくわけですね。
土井 大人が正月迎えのための仕事を真剣にやることは、とてもいい教育になると思います。