新年らしくカステラに金箔、銀箔を添えて、華やかなテーブルで楽しい時間を。薄いシート状の箔を、先の細い箸で、そっとつまんで、ふんわりとカステラにのせるだけ。カステラは文明堂「特撰五三カステラ」。※写真は6×6センチにカットしたものですが、文明堂では通常こちらのサイズは販売しておりません。 箔/すべて箔座 食器/すべてスタイリスト私物ポルトガルから長崎・南島原へ
カステラの原点を訪ねて
16世紀から海外への扉が開かれていた長崎は、いわば国内でのカステラの故郷。今も手作りにこだわる老舗を訪ね、その魅力に迫ります。
カステラの名は、城を意味するポルトガル語“カステイロ”から転じたとも。16世紀後半、南島原に「パン・デ・ロー」あらわる!?
長崎県島原半島の南に位置する南島原市。半島の先端にある口之津港は、16世紀半ばから貿易港であった由緒ある港です。1567年には南蛮(ポルトガル)船も入港、貿易と宣教師によるキリスト教布教の拠点となりました。
1571年に長崎港が開港し貿易の主軸が移るまで、口之津は世界と日本をつなぐ入り口、国際色豊かなベイエリアでした。
「異国から運ばれた産物の中に、カステラのルーツといわれるポルトガルの伝統菓子“パン・デ・ロー”もあったのでは。カステラがここから日本に広まっていった、と考えると歴史と浪漫を感じますね」。
そうおっしゃるのは、南島原市のカステラ店「須崎屋」6代目の伊藤 剛さん。
「お客さまの『おいしかったよ!』の言葉が、一番の励み」と5代目・伊藤代二さん(左)と6代目剛さん。「パン・デ・ローもカステラも、材料は卵と砂糖と小麦粉だけです。海外から砂糖を入手するしかなかったその時代、貿易港のある長崎では砂糖も流通。宣教師の影響などもあり、“南蛮菓子”として長崎でカステラ作りが定着していったようです」。
以来450年余、今も県内には100軒を超すカステラ店があり、それぞれの味わいを生み出しています。
6代目が焼き上げた「極上五三焼かすてら」は桐箱入り。カステラ職人歴65年のすべての技を、一本に凝縮
「須崎屋」のルーツは海運業。長崎港から口之津港に砂糖などを運んでいたことから、1867年にカステラ店を開業しました。
現在も店頭に並ぶのはシンプルなカステラのみ。地元産のオリジナル卵、極上水あめ、和三盆……と厳選した素材、天板一枚分の生地を最適の温度で焼き上げるタイミングなど、工程すべてに職人の技が光ります。
【熟練の技による切り口】
刀のような包丁をわずかに湿らせ、カステラを見事に切る5代目。なかでもカステラ作り65年の5代目・伊藤代二さんが手がける「五三焼かすてら」は、そのこだわりの集大成。卵黄が5に対して卵白3のリッチな風味のカステラは、焼き加減が難しく、熟練の技が必要な長崎カステラの最高峰です。
オーブンから焼き上がったばかりのカステラを取り出し、型を外す。甘い香りが広がる瞬間。周囲の紙を剝がして板にのせて粗熱を取ったら、温度と湿度を一定に保った部屋で一晩ねかせる。「先代のレシピを今に合う軽やかな
五三にするために、甘みなどの素材を徹底的に見直し、3年かかって完成させました」(代二さん)。
黄金色に近い美しい生地、きめ細かな口あたり、上品な甘さ。原点にして極めつき、カステラの魅力がすべて詰まった一本です。
Information
須崎屋[長崎・南島原]
長崎県南島原市有家町山川1200
〔特集〕日本人のソウルスイーツ カステラを愛す(全4回)
表示価格はすべて税込みです。
撮影/阿部 浩 大泉省吾 取材・文/露木朋子 スタイリング/横瀬多美保 料理制作/久保香菜子
『家庭画報』2020年2月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。