決して不可能ではない「金メダル30個」
松岡 僕は会長が選手強化本部長時代に「目標は金メダル30個」とおっしゃったとき、とても嬉しかったです。選手たちを信じているからこその数字として前向きに捉えさせていただきました。
山下 目標を立てる際には、「30個はハードルが高い。本部長の責任問題になりかねないので、25以下にしたらどうか」という声や、「本気で30個獲りたいなら、目標は35にすべきだ。でなければ30には届かない」といった声もありました。最終的にはみなさん合意してくださいましたが。
松岡 いろいろな捉え方があるものですね。
山下 この30個というのは、私が選手強化本部長だった時代に、チーム競技担当者や格闘技担当者などと個別にミーティングをして導き出した数字なんです。「これから最高の準備をして、最高のパフォーマンスをしたとしたら、どれだけのことが期待できますか」と尋ねて得た答えを集約した結果。ですから、決して不可能なことではないのです。
松岡 僕もそう思います。
山下 でもね、正直にいえば、私は、選手が己を信じ、仲間や先生を信じ、自分がやってきたことを信じて果敢に戦ってくれさえしたら、それで満足なんです。
モスクワで気づいたオリンピックの真価
松岡 会長は金メダルを獲られる前に、日本のボイコットによる不出場という辛い経験もされていますね。
山下 モスクワオリンピックのボイコットは、人生でいちばんショッキングな辛い思い出でしてね。マスコミのかたがそのことを取材させてほしいとやってくると、昔は「最愛の人の死について話せというのと同じです。それだけの覚悟を持って聞いてくださいね」というようなことをいっていたんです(笑)。
松岡 余計なことをいってしまいましたね! でも、僕はボイコットが決まったときに会長が見せた涙が忘れられないんです。そして、それだけに、会長がモスクワ大会を観に行かれたことを知ったときは驚きました。なぜ行かれたのですか。
山下 当時の国際柔道連盟の会長から誘われたんです。観ておけば4年後のプラスになるからと。でも、2つ心配がありました。「ボイコットしたのに行くのか」と叩かれるんじゃないか。この件でこれ以上傷つくのはいやだったので、何人かの友人に相談したところ、「誰がおまえを責めるものか。これからのために絶対観に行くべきだ」といってくれました。もう1つの心配は、現地で試合を観たら、「本当はここで試合をするはずだったのに」と寂しくなってしまうのではということです。
松岡 絶対そうなるでしょう。
山下 ところが、ならなかった。
松岡 え、まったくですか?
山下 ええ。恐る恐る会場の2階席へ行ったところ、外国のライバル選手が私を見つけて、「ヤマシタ!」と大声で叫びながら手を振ってくれたんです。近くまで下りていくと、「足は大丈夫か? まだがんばれるんだろう?」と。私はその年の5月の試合で腓骨を骨折していたんですね。モスクワに行ったときには、もうよくなっていたんですが。
松岡 その選手は、ケガのことをご存じだったんですね。
山下 ほかの選手たちからも口々に心配され、励まされ、複雑な気持ちが吹き飛びました。それからの7日間、私は各国・地域の選手たちの試合を夢中になって応援しました。ですから、私にとってのモスクワ大会は、楽しい思い出しかないんです。
松岡 そうでしたか! ボイコットは本当に辛い経験だったと思いますが、オリンピックのよさが実感できた大会でもあったわけですね。
山下 はい。我々は国の代表として畳の上では徹底的に戦いますが、同じ競技に打ち込む仲間なんですね。お互いがどれだけ努力してきたか、ケガやスランプも含めてどれだけ苦しんできたかもわかっている。スポーツを通した友情を、体の芯から感じられた出来事でした。