写真左から、中村児太郎さん(記事はこちら)、中村隼人さん(記事はこちら)、尾上右近さん、中村壱太郎さん(記事は2月21日公開予定)、坂東巳之助さん(記事は2月25日公開予定)。5人の若獅子たちが語る“今”へと導いた3大トピックス
第3回 尾上右近さん
2017年のスーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』の再演では、主役のルフィとハンコックの2役に抜擢され、その頭角を現した尾上右近さん。大役の学びの場である自主公演の「研の會」も2019年で5年目を迎えました。現在は栄寿太夫(えいじゅだゆう)を襲名し、清元節の太夫としても活躍。何がその原動力となっているのでしょうか。
2019年10月、歌舞伎座『蜘蛛絲梓弓弦(くものいとあずさのゆみはり)』の坂田金時。TOPICS1
自主公演「研の會」の実現
僕が自主公演をしたいと思った大きなきっかけのひとつは、猿之助お兄さんがなさっていた「亀治郎の会」に出演させていただいたこと。自主公演の面白さを知ることができた上に、言葉には尽くしがたい学びを与えていただきました。
そして2015年8月、第1回の「研の會」では『義経千本桜』の『吉野山』と『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)』という大曲での上演が実現し、『吉野山』では猿之助お兄さんの静御前と共演させていただくことができました。どちらも経験を積まなければ成しえない大きなお役です。そういうお役だからこそ挑戦したいという憧れと同時に、初役がいつになるかわからないというジレンマもあり、それらが原動力となりました。
そして『鏡獅子』は、自分なりに尋常ではないと思えるほどのお稽古をしました。僕は車の運転をしないため、それなりに自分の重い衣裳と毛振りの毛を持って電車でお稽古に通いました。お稽古には僕が持つありとあらゆるものを注ぎ込んだので、それだけ時間を費やして体に染みついたものは絶対にあると思えます。実際に自分で作る公演を経験したことで歌舞伎役者として自分に足りないことが具体的に見えましたし、スタッフや共演者さんほか、その会に携わっているすべての人が僕のためにやってくれているということにも気づき、人間として学んだ面が大きかったと思います。
とはいえ回を重ねてみて、自分でやりたいことをやっていることに、いまだに満たされないこともあって、いつか人に求められる主役になれるように準備をしている感覚で自主公演に取り組んでいます。
TOPICS2
尾上右近と7代目清元栄寿太夫の両立
僕は清元節宗家の家に生まれたのですが、歌舞伎が好きで、役者として初舞台を踏ませていただき、のちに尾上右近を襲名させていただくというありがたい流れでこれまでの人生を歩んできました。
一方で、役者として培ったものを清元に還元したいという気持ちと、いつか清元に対して何らかの責任を取るにせよ、その分、役者として修業しなければならないという思いが常にありました。「研の會」で「吉野山」を選んだのも、父(清元延寿太夫〔えんじゅだゆう〕)と兄(清元斎寿〔さいじゅ〕)に出演してもらうことで今の自分があることを再認識する機会にしたかったからです。
そして2018年1月に清元節の名跡である栄寿太夫を襲名し、二つの道を歩むこととなりました。僕は意志を貫いて行動するというよりは、流れに身を任せるというスタンスなのですが、その結果、両立することを菊五郎のおじさんをはじめ、諸先輩方に許されました。
これからは自分でも想像がつかないくらい鍛錬しなくてはならないことが、僕の人生のテーマとなりました。誰も足を踏み入れたことのない未知の境地に挑んでみようとする、僕の中にあった好奇心のようなものに導かれたのだと思います。
TOPICS3
スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』の主演
若手公演で主役に抜擢していただいたことには、舞台の真ん中に立つ機会が訪れたことへの武者震いのような思いと本当にありがたいという感謝の気持ちでいっぱいでした。
実際にルフィを演じるときは、猿之助お兄さんが作った土台があったので、古典を演じるときに近い形から入りました。自分流にやろうとしたのではなく、意図せずしてそうなってしまったことをそのまま残した演技もありましたし、修正しなければならないことは修正しました。ですから、残した部分が猿之助お兄さんのルフィとは違っていて、なんとなく僕のオリジナルに見えるというところには辿り着くことができたのだと思います。
早替わりがあったので古典の転換も学びましたし、演技の集中力と舞台の神経というものを磨かせてもらうこともできました。お芝居は人と人とのコミュニケーションであって、お客さまの反応も感じ取らなければならないという生理的な感覚も求められます。体は躍動的な動きをしていても、心は静かでなければできないこともあります。
舞台には不思議な気の流れみたいなものがあって、微妙な呼吸の違いで、誰かがその気の流れに足元をすくわれてしまうと、一気に崩れていくような瞬間があるのですが、そのストッパーになるのが主役だと感じました。主役はコンダクターのようにペースメーカーであってブレないことを示さなければならない存在なのだと思います。