コンクール出場やメニュー考案、新たな挑戦が菓子づくりの奥深さを教えてくれた
「当時外資系のラグジュアリーホテルはまだまだ少なく、パークハイアットはその先駆けでした。その中にあるレストランのデザート部門で4年間働いたのですが、ここではスタッフの熱量も技術もレベルが違いました。僕より年下の先輩もいて、生来負けず嫌いの僕は、その中で上に行くにはどうしたらいいか考え行動する日々。
勤務時間以外もコンクールのための練習や準備に時間を費やし、シェフの講習会にも同行させてもらったり、レストランのデザートメニューを考えさせてもらう機会ももらったり……。すべての経験が身になり、その後の自分のベースとなりました」
その後当時お世話になったシェフが自身の店をオープンすることになり、オープニングスタッフとして引き抜かれ、1年間春日部のパティスリーに勤務。
さらに1年後には、実家のお店が道路拡張計画により移動を余儀なくされたため、そのタイミングで故郷の静岡に自身の店「パティスリー ナチュレナチュール」をオープンすることに。27歳の時でした。
「TVチャンピオン2」優勝でたちまち時の人に
しかし、「オープンから1年くらいは全く売れなかった」と言います。
「東京圏で最先端である洋菓子を静岡の田舎で提案しても、お客さまには全然響かない。今考えればニーズとマッチしていないことは簡単にわかることなのですが。それでも“自分のスタイル”は変えたくない。ならば、“自分のステータス”を変えるしかない」と、テレビ東京の「TVチャンピオン2」のケーキ職人選手権に出場。
2006年、2007年の2年連続優勝を果たし、そのテレビ番組の効果もあり、たちまち屈指の人気店に。
「朝10時の開店から、売り切れのため午後2時には店を閉める。そして翌日の仕込みで深夜まで働き、再び早朝から働き始める。そんな働きづめの数年間でした」と当時を振り返ります。
日本では展開されていないガトーや、ショコラ、マカロン、ヴィエノワズリなど、フランスのパティスリー文化に根差した商品展開。スイーツファンなら、パリに来たら是非トライしたい。“本物のパティスリー”を求めてパリへ
アメリカ資本のパーク ハイアット 東京で経験を積み、若くして自身の店を構えた吉田さんですが、パティスリーの世界に身を投じれば投じるほど、そのルーツがフランスであり、フランスでのパティスリーの現状を知ることが不可欠であることを痛感したといいます。さらにある出来事が吉田さんを動かすことに。
「デモンストレーションのため在タイ日本大使館に招かれた際、現地の有名寿司店に連れて行っていただいたんです。普通においしかったのですが、そのときのタイの食材で握られた寿司が僕にはしっくりこなかった。その時、“日本人の僕が日本で同じことをしているのではないだろうか”という疑問が頭をよぎったのです」
その後もテレビ番組の選手権での快挙もあり、身を粉にして働く日々。ある年の夏、2週間の休暇をとってパリに滞在していたとき、現地のマルシェで地産の食材を見て、「パティスリーの本場で、その地の食材を使い、本物のパティスリーを作ってみたくなった」のだそう。そうしてパリに拠点を移す決心をしたのでした。