36歳、パリでゼロからのスタート
「静岡の店も順調でしたし、多店舗展開の話もいただいていましたが、そのまま静岡にい続け金銭的に無難に成功したとしても、それは僕が“面白い”と思える未来ではなかった。先が見えてしまうのが嫌なんです」
思い立ったが吉日とパリでブティックを開くため、間もなく渡仏。50〜60軒ほどの物件を巡り、ついに自分が思い描く場所を見つけます。
それが、通りからアンバリッドが望める7区のブルトゥイユ大通りの店。静岡の店の成功により得た資金を元に、開店資金はすべて自身で賄いました。
「スポンサーをつけることもできたと思いますが、妥協のない自分の思い描く形で、現地の人たちにパティスリーを届けるためには、自分の力で店を構えるべきだと思いました」。
そうして工事の大幅な遅れなど幾多の難題を乗り越えながら、36歳のとき、パリに「MORI YOSHIDA」をオープン。
「フランスでは、就業時間は週に35時間までという規制があります。36歳での再スタートを遅いととるか早いと取るかは、その人次第かもしれませんが、僕はそれまでにフランス人の2倍の時間を仕事に費やしてきた。ならば同い年でも2倍の経験がある。やってやれないことはない、という自信はありました」
社会的ステータスのある人たちが多く住むブルトゥイユ大通り界隈。「食にこだわりのある舌が肥えた大人が多く、お客さまご自身が広告塔となっていただけるポテンシャルのあるエリア」。実際に、サロン・ド・ショコラの品評会の審査員や雑誌、テレビなどメディア関係者などが訪れることも多いそう。フランスのメディアでも絶賛、一歩ずつその地位を確かなものに
とはいっても最初から順調だったわけではないといいます。「特に宣伝をしたわけでもなかったので、初めは思うように売れず、地道に少しずつお客さまの信頼を獲得していったという感じです」。
ある時、顧客の一人から「あなたのショコラはとてもおいしいから、サロン・ド・ショコラの品評会に出してみたら」と提案され、参加したところ、いきなり賞を受賞。それから徐々に評判が広がっていき、多くのメディアで取り上げられるように。
さらにフランスでの「MORI YOSHIDA」の知名度を飛躍的に高めたのが、大手テレビ局のパティスリーのコンクール番組「LE MEILLEUR PATISSIER:LES PROFFESIONNEL(ル メイユール パティシエ:レ プロフェッショネル)」にて、2018年、2019年と2年連続チーム優勝を果たしたことでした。
番組の審査員を務めていたパティスリー界の伝説、ピエール・エルメがその実力を絶賛。フランスでの評価が一気に高まっていったのです。
大手テレビ局の料理コンクール番組「LE MEILLEUR PATISSIER:LES PROFFESIONNEL」の優勝トロフィー。「実は最初声をかけていただいたときは、お断りしていました。日本での経験からテレビ番組の出演はあまりにインパクトが強く、ハイリスクハイリターンなこともわかっていましたし。しかし、何度か声をかけていただき、5年目を迎えた頃、ついに受けることに。2年続けて出場させてもらい、皆さんに広く知っていただけたことは大きな財産」2014年からサロン・ド・ショコラの品評会(CCC)で「AWARD DU CHOCOLATIER ETRANGER EN FRANCE」を受賞したショコラは、ショコラ愛好家にもファンが多い。“古き”を知って初めて“新しき”ものが生み出せる
そんな吉田さんがお菓子づくりのインスピレーションにしているのが、食にまつわる研究書や文豪の食にまつわる随筆。
「常に新しいものは生まれていますが、残るものと消えるものがある。例えばカヌレやフラン、エクレアなど、形を変えず世紀を超えて愛され続けるガトーもある。その違いは何なのか。とにかく“味”について知りたいという思いが強く、いろいろな文献を読みあさっています。
知識が増えるほど、これで本当に正しいのか?と不安にもなり、アウトプットのペースが遅くなるというデメリットもありますが(笑)、古いものを知らなければ、後世に残っていく価値のある新しいものは生まれないと思っています。僕が目指すのは、目新しいだけのものではなく、時代が変わっても求められる“普遍的なおいしさ”ですから」
その普遍のおいしさを形にすることに情熱を注ぎ続ける吉田さんは、自身を“味のクリエーター”と表現します。その味へのこだわりについては、次週の後編にて詳しくお伝えすることにいたしましょう。
現在、味覚を専門とする研究者の方から借りているという、味や食にまつわる研究書の数々。製作のインスピレーションソースとなることも多々。「これらの研究書は誰かのフィルターを通して個人の意見が加わっているものではなく、純粋に研究の結果が出ているところがとても勉強になり、面白いんです」