——映画の中で、お父さまは写真家になりたかった、と。そういう話をしたとおっしゃってましたが、ヒサ子さんとそういう話をされたことは?
「していないですね。本当に自分のことで手一杯で、自分のことばかりで。だから、両親がどういうことをやりたかったとか、どう思っていたかなんてことは、若い頃は考えていなかったんですよね。今やっと、自分の子供たちが自立して一息ついたときに、母のことを思い……振り向いたら母がいて。母はいろんなことを忘れていって、こちらができることといったら思うことしかないじゃないですか。
人間って記憶体でしょ? もし私が母の人生を語らないとしたら、もう忘れられていくだけ。母の人生を語ったり記録にしたりするのは、子供の仕事なんですよね。自分はさんざん好きなことをやってきて、それができたのは母が支えてくれたからで。昭和に生まれて淡々と生きてきた一人の女の人がいたんですよってことを言ってあげることが今の私ならできるな、それを誰かが観て、いいなと思ってくれたらうれしいなと思ったし、認知症っていうと不安な思いのほうがクローズアップされやすいんですけれども、いいじゃない。年を取っていくこともいいじゃない、忘れていくこともいいじゃないって肯定できたらいいですよね」
ヒサ子さんが施設に入るにあたり、荷物を整理。大量の写真を見つけ、ベストアルバムを作ると「人生の流れが見えてきたんです」。