楽器製作の専門学校へ入学
高校卒業後、日本でも数少ない楽器職人の養成学校である東京・三宿にある「国立音楽院」に入学。
「もともと骨董品など、古いものが好きだった」こともあり、時代を超えて受け継がれるヴァイオリンの美しい形にも深く魅了されていた佐藤さんは、楽器製作・修理など、演者を支える側として音楽に携わる道を選びます。
“ヴァイオリン製作科”に在籍した2年間で、ヴァイオリン製作を勉強した佐藤さん。しかし、専門学校在学中は仕事にできるほど何かを身につけたという実感は、まだまだ湧きませんでした。
そんな中、パリで活動する日本人ヴァイオリン職人がいるという話を耳にすることに。とてもおっとりした佐藤さんですが、こと“やりたい”と思った時のエネルギーと行動力は人一倍。
そこで彼と面識のある恩師にお願いし、弟子にしてもらえるよう頼み込んだのでした。
今は弓の修復を主に担当している佐藤さんの作業机。卒業後、ワーキングホリデーを利用してパリ修業
在学中の冬休みを利用して観光を兼ねてパリにやってきて、日本人のヴァイオリン職人の男性が働くアトリエを訪れた佐藤さん。
そこが現在も彼女が席を置く、8区にあるヴァイオリンやチェロなどの弦楽器の製作&修復を専門にした工房「ギー・ココズ」でした。
早速ワーキングホリデーのビザを取得し、翌年の4月から彼の弟子としてパリで働くことになります。
「日本の多くの女性がそうであるように、単純にヨーロッパに憧れがあったのも事実です。一度訪れたパリは本当に美しくて。当時お付き合いしていたフレンチの料理人であった彼がパリで修業していたことも、私のパリ修業への思いを後押ししました」
師匠の突然の帰国も、パリに残ることを決意
「毎年日本に帰国すると言いながら何年もパリにいるから、彼は当分帰らないんじゃないかな」と周囲から言われていた日本人ヴァイオリン職人の師匠が、佐藤さんがパリにやってきた半年後にまさかの帰国を決意。
一方の佐藤さんはこの時ビザの期限まで半年もあり、悩みに悩んだ末にパリに残ることを決めます。
「師匠が帰国するのに居残るなんてと、とても憤慨されました。後味の悪いお別れになってしまい、実はお会いしたいと思いながらも、その後は一度もお会いできていません」とその時の別れを今も心残りに感じています。
しかし、頻繁に持ち込まれる古い楽器の修理や貴重な名器を目にすることができるなど、パリ、特にアーティストたちからも厚い信頼を得るこの工房だからこその仕事環境によって、佐藤さんはヴァイオリン製作&修復の面白さにますます引き込まれていくのでした。
辛かった出来事も明るく語ってくださった佐藤さん。日本へ戻り、再びパリを目指す
パリでの工房の仕事にすっかり魅了された佐藤さん。しかし、ワーキングホリデーのビザが切れて一旦帰国。
その後もフランスで働きたいという思いは冷めず、資金を貯めて1年後に学生ビザで再渡仏。再び「ギー・ココズ」の門を叩きます。
実は、この時オーナーのギーさんには何の連絡も入れていなかったのだとか。しかしギーさんは驚きながらも、またここで働く仲間として佐藤さんを受け入れてくれました。
最初の数か月は語学学校に通いながら、工房で修業、さらには和食レストランでアルバイトというハードな日々を過ごします。
右からオーナーであり師匠であるギー・ココズさん、佐藤さん、そしてギーさんの息子で工房の2代目であるフランチェスコさん。