【連載】日本の医療をリードする名病院と病院長 東京慈恵会医科大学附属病院は、今から約140年前に生活困窮者のための民間初の慈善病院として創設されました。研究至上主義のドイツ医学が主流だった時代に、病気に苦しむ人と向き合い、全人的医療を実践してきました。そのスピリットを大切に受け継ぎながら、次のステージへと前進する同大学病院の最新動向についてご紹介します。
記事一覧はこちら>> ※以下の記事は、『家庭画報』2020年6月号取材当時の情報です。最新情報は公式ホームページ等でお確かめください。 第5回
高度医療の提供とともに患者と向き合う心を忘れず
東京慈恵会医科大学附属病院
病院長 井田博幸先生
東京慈恵会医科大学附属病院 病院長
井田博幸(いだ・ひろゆき)
1955年、神奈川県生まれ。81年、東京慈恵会医科大学卒業。同大学小児科学講座助手を経て、米国ジョージタウン大学小児科へ留学。2008年、東京慈恵会医科大学小児科学講座主任教授に就任。19年より病院長を務める。新外来棟・母子医療センターの開設プロジェクトを率い、病院改革を進める。臨床では先天代謝異常症の一種であるゴーシェ病の専門家として世界的に知られている。時代のニーズを先取りし未来志向の医療にも取り組む
1882年、東京慈恵会医科大学附属病院の創設者である高木兼寛は人道主義に基づいたイギリス医学に深い感銘を受け、生活困窮者のために民間初の慈善病院を作りました。
当時の日本は研究至上主義のドイツ医学が主流で、病人を医学の研究材料のようにとらえる風潮がありました。しかし、高木は“病気を診(み)ずして病人を診よ”と説き、病気に苦しむ人と向き合う臨床医学を大切にし、その発展に力を尽くしました。
〔「病気を診ずして、病人を診よ」明治期の創設者の精神を礎に〕創設者・高木兼寛のレリーフ。「医師と看護婦は車の両輪のごとし」とも唱えており、明治期にチーム医療の重要性についても示唆していた。写真提供/東京慈恵会医科大学附属病院「この教えは当院の理念として受け継がれ、医療を実践するうえで揺るぎない基盤となっています」と病院長の井田博幸先生は語ります。そして、同病院の診療姿勢に厚い信頼を寄せ、代々かかりつけにする“慈恵ファミリー”と呼ばれる人たちが今なお多く存在します。
一方で、現在は特定機能病院としての役割を担い、高度先進医療を提供することも重要な使命の1つです。
「全人的医療を基盤としながらも、時代のニーズを先取りした未来型医療にも積極的に取り組んでいます」と井田先生。
2020年1月にオープンした新外来棟には「Cell Processing Facility(細胞加工施設)」を設置しました。
これは細胞治療、再生医療、遺伝子治療など最先端医療の実施に欠かせない設備です。関東で4か所、全国でも11か所しかないため、今後の活用に大きな期待が寄せられています。
また、患者の訴えから研究の種(シーズ)を拾い上げ、その研究成果を臨床に還元することを目的にした「次世代クリニック」も開設される予定です。
井田先生は「慈恵の先人たちがそうしてきたように、患者さんのつらさや苦しみに目を向け、できるだけ多くの臨床研究につなげていきたい」と意欲的です。