〔連載〕京都発 茶箱あそび、つれづれ 京都在住のふくいひろこさんが、ひと組の茶箱を通して、ときには京都の歳時や工芸を味わい、ときには茶を点てる場所を変えて、日常に抹茶を楽しむ具体例をお伝えします。
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心をあそばす、独服のすすめ
“茶箱があればどこもが「わたしの茶室」になる”
これは2017年に出版した『
はじめての茶箱あそび』(世界文化社刊)のあとがきの中の言葉です。自身が茶箱であそびながら実感しているフレーズですが、本が出てから思いがけずいろいろな方に「あの言葉に出会い、茶室がない自分もお茶をして良いのだと思いました」と言っていただきました。
盆の上に道具を仕組んで、自分のために茶を点てる。鴨川のベンチも、京都御苑の切り株も、友人宅のテーブルも「茶室」にしてしまうわたしですが、やはりいちばん使用頻度が高いのは、自宅の住空間です。そこは、訪ねてくれる友人知人への茶のもてなしの場であるとともに、日々自身のためにお茶を点てて喫む場となります。しかし、もともとお茶専用の部屋ではなく生活の空間ですから、家具が占めるスペースもあれば、日用品も溢れています。
壁面を床の間に見立てて、掛物をかける。そんな環境の中で、自身がお茶を楽しむために「床の間」がとても大切だと感じています。本物の床の間はないマンション暮らしですが、壁面に掛物や季節の飾りをかけて床の間代わりにし、それを眺めながら一服します。
独服の場合、会話を交わす客はいないのですが、床の間と独り向かい合って語り合う感じ。客は自分であり、自身を大切にし、もてなしているのです。
洋室にも合うような裂を選び、表装した「白雲」の書。たとえば、今月の我が家の「床の間」には、「白雲」という墨蹟がかかっています。この言葉はある種の禅の境地、あるいはそれをあらわす禅語の一部なのだと思いますが、わたしはあまり深く考えず、数年前の今頃に訪れたパリの空などを思い浮かべます。その時歩き回った街の風景、一緒に過ごした人のこと、美味しかった料理の味などが甦り、心は新緑がまぶしい彼の地に飛んでゆきます。
有職造花の菖蒲と蓬飾り。去年までは玄関にかけていたが、今年は厄除けの気を常に味わいたくて、リビングの壁に。また、別の壁面には、端午の節句(節供)にちなむ、菖蒲と蓬の飾りをかけています。今年は屋外に出ることが少ない日々を送っていますが、この飾りを見ているだけで、5月に行われる葵祭の競馬会神事(くらべうまえしんじ)の風景や、老舗旅館の軒先の菖蒲飾り、さらには上御霊神社の鳶尾(いちはつ)や大田神社の杜若(かきつばた)の群生などが、頭に浮かんできます。
水の渦のような干菓子。菓子もまた連想ゲームに欠かせない。清らかな水辺を想い、草で作られた器に。本当はどんなに小さな空間であっても、その日の具合で部屋が散らかっていても、自分のために丁寧にお茶を点て、両手でそのお茶の入った茶碗を包みながら一服するだけで、心は満たされます。
日々お茶を楽しむ方には共感していただけるのではないかと思いますが、これはささやかにお茶を喫んできた自身の実感です。そこに自分なりの「床の間」があると、さらにその力は増してゆく。自宅にいながらにして、自由に心をあそばすことができる。床の間には、その力を引き出す仕掛けがあると感じます。
ゆったりと道具一式を入れられる茶櫃(ちゃびつ)。今月は自宅で使いやすい茶の箱として、茶櫃を使っています。煎茶道具を一式しまっておき、卓袱台(ちゃぶだい)などで使う便利なもので、かつてはどこのおうちにも一つはあったのではないでしょうか。
蓋は盆として使えます。櫃なので大きさにも余裕があり、抹茶の道具もゆったりと組むことができるのが利点です。茶道の流儀によっては茶櫃の点前がありますが、今回はあそびの茶箱としての使い勝手を考えて、手ぬぐいや菓子皿なども一緒に仕組んでいます。
茶櫃の蓋裏には蕨波の文様が蒔絵されている。茶碗は「八橋」の意匠で、『伊勢物語』に出てくる杜若を想起させるもの。手ぬぐいの模様は松葉、茶巾筒に見立てた青磁杯にも何か植物が陽刻されています。床にかけた菖蒲と蓬はもともと薬草で、厄を払う力も持っています。茶器は古典的な薬器形を使ってみました。新緑の5月にちなみ、野に山に溢れる生命を感じる取り合わせです。
一つの箱の中に、小さな宇宙を作ることができるのが、茶箱の醍醐味。きっと使われていない茶櫃が日本中にいっぱいあるような気がします。お手持ちがあれば、あなたの宇宙を作ってみてください。
ふくいひろこ
京都市生まれ。茶道周辺や京都関連本の編集者をつとめながら、自身の趣味として茶箱であそぶこと20余年。茶道具のみならず見立ての道具をふんだんに使い、日常で楽しむお茶を提案。道具を集めるのに飽き足らず、理想の茶箱道具を知り合いの作家や職人にオーダーするうちに、オリジナル茶箱の作品群が生まれ、時折展示会なども行っている。
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お茶室がなくても、茶箱一つあれば、どんな場所も「わたしの茶室」になる
文・写真/ふくいひろこ