ポール・オースター 著 柴田元幸 訳/新潮社 2200円世界がアメリカに端を発した金融危機の最中にあった2008年のニューヨーク・ブルックリン。大学を中退し、地元を離れていたマイルズは友人ビングに誘われ、サンセット・パークの廃屋で不法居住する者たちと共同生活を始める。男女4人はそれぞれの苦悩を抱えていて......。
ナビゲーター/板谷由夏(いたや ゆか)ニューヨークのブルックリンで、廃屋に不法居住しているビング、エレン、アリス、そしてマイルズ。それぞれ悩みを抱えながら暮らしている4人の若者の様子が、見事なストーリーテリングで描かれてゆく小説です。
章ごとに語り手が代わることで、それぞれのキャラクターや人間関係が見えてくる辺りは、短編映画を連続で見ているようなおもしろさがあります。
インテリなマイルズが、なぜ大学を中退して残存物撤去の仕事をしているのか、彼の抱えるトラウマが徐々に見えてくるのも興味深いし、どの人物も風変わりだけれど、どこか愛おしくて。
それぞれのことが知りたくて、先を読み急ぎたくなるのも、オースター作品の魅力ゆえと思います。
4人のなかで、役者として興味を持ったのは画家志望で性的妄想の強いエレンですね。家庭教師をしていた高校生と......という辺りは読んでいて唖然としましたけど(笑)。
あと、この廃屋のリーダーで、壊れたもの、古いものの修理を仕事にしているビングが使うタンジビリティ。手で触れられること、と訳されていることばに、私はすごく惹かれたんです。
コンピュータや携帯によってどんどん便利になっている世の中に反発しているビングは、世界は手で触れられるんだといい、手で触れられるものを大切にしようとします。
それはある意味まっとうな感覚だし、私も自分の目で見て、触れられるものを信じたいけれど、世界中がウイルスという目に見えないものに脅かされ、人と人が距離を取らざるを得なくなっている今、彼の姿勢にはいろいろ考えさせられるものがありました。
この小説は2008年のリーマン・ショック後に書き出されたようですけど、若者だけでなく、日本でもこうしたシェアハウスが増えているという記事を読んだばかりだったので、まさに今に通じる話だなあ、と。
オースターは偶然の描き方が上手というのか、出来事が起こるべくして起こったと、読み手にそう思わせるその筆の運びに、同じように巧みなストーリーテラーである村上春樹さんに通じるものを感じました。
意外なエピソードを積み重ねながら、読者を物語の世界に引き込み、夢中にさせてくれる。そんなオースターの小説に、読むことの楽しさを思い出させてもらいました。
板谷由夏(いたや ゆか)
女優。WOWOWの情報番組『映画工房』にレギュラー出演中。2015年から大人の女性のための普段着「SINME」のディレクターを務める。最新映画出演作は『サーティセブンセカンズ』。「#今月の本」の記事をもっと見る>> 表示価格はすべて税抜きです。
取材・構成・文/塚田恭子 撮影/中西真基(人物)
『家庭画報』2020年6月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。