内田洋子 著/方丈社 1800円イタリアはトスカーナの山奥にある、人口数十人の村モンテレッジォ。かつてこの村には籠に入れた本を担いでイタリア各地を歩き、本の行商で生計を立てる人々がいたという。その末裔に会い、消えゆく話を拾い集めた著者の道行きに同行するような、本と本屋をめぐる物語。
ナビゲーター・文/茂木健一郎(もぎ けんいちろう)旅をすることが難しい状況になってしまった時に、旅を愛する者は、かえって、旅をすることの意味を考え始める。
イタリアの山中にある小さな村、モンテレッジォをめぐるこの美しい本は、旅をすることの恵み、深さ、そして奥行きを考える上で最高の一冊である。
きっかけは、イタリアに住む作者の内田洋子さんが出会ったほんの少しの兆し。みずみずしい感性と大胆な行動力によって、内田さんはひっそりと佇む村に秘められた、驚くべき歴史を明らかにしていく。
栗の樹に囲まれた村の住人が行商をしていくうちに、時代の流れもあり、やがて「本」を売るプロフェッショナルになっていく。
本の行商たちはそれほどたくさんの冊数を運べないから、売れ筋や品質を吟味して、やがて「目利き」になっていく。
旅する本屋たちは、やがて、イタリアの出版界で大切な存在へと成長する。その末裔たちが、内田さんが愛するヴェネツィアの古本屋さんなど、各地でゆかりの書店を開く。
そんなつながりをたどって時間や空間を旅するこの本には、まるでファンタジー小説のよな魔法がある。
単に空間を移動するだけでは、人は本当の意味での旅をすることができない。点と点を結び、脈絡を読み、人と人との心の響きの中に居心地のよい静寂を見つけること。
「旅する本屋」の物語が、それぞれの人にとっての人生の旅となっていく。
モンテレッジォから発した本の文化の発展は、イタリアの文学賞の中でも独特の存在感を持つ「露天商賞」の誕生に結実する。第一回の受賞作は、ヘミングウェイの『老人と海』。本の目利きが選ぶ賞という意味で、日本の「本屋大賞」に似ている。
本を読むことも、また、1つの旅。頁をめくるごとに新しい世界が開けていく、そのよろこびを知る者は心の旅人となる。
この世界の片隅に、こんなにも深く心を潤し、愛に満ちた小さな物語があったとは。
すぐれた書物の役割は、世界の多様性と奥行きを教えてくれることだろう。添えられた写真の数々、そして装丁が美しい。
本書は、本好き、旅好きにとって最高の「心の旅」の友となってくれる。
茂木健一郎(もぎ けんいちろう)
脳科学者、ブロードキャスター。意識の解明のため、クオリアをテーマに研究を行う。最新刊『もうイライラしない!怒らない脳』ほか、『東京藝大物語』『脳とクオリア』など、著書は200冊を超える。「#今月の本」の記事をもっと見る>> 茂木さんセレクション
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取材・構成・文/塚田恭子
『家庭画報』2020年8月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。