まさに「どん底」。カメラが自分の正面で止まらない
――はたから見ると、順風満帆にしか見えませんが。そうでしょうね。でも、僕は先にもお話したように気が小さい人間です。モデル出身で役者としての基礎もない。芝居を本格的に学んだ人と我が身を比べては、常にコンプレックスに苛まれていました。
もちろん、自分なりに経験を積み、努力もしてきたつもりです。けれども、不安はいつも抱えていました。一方で、あまりに華やかに人生が開け、仕事も順調に進んでいくので、知らず知らずのうちに自信が不安に勝り、勘違いをしていったように思います。自分でも気づかぬうちに、周りに対して不遜な態度をとるようになっていったのです。恥ずかしくてあまり思い出したくないですが。
――何が起きたんでしょう。それまで主役をやらせていただいていたのが、二番手になり、三番手になり……。それを嫌でも実感するのは撮影のときでした。今までスーッと寄ってきて自分の正面で止まっていたカメラが、スッと横に逸れていく……それを肌で感じるのは、さすがにつらいものがありました。その寂しさといったらありません。
――まさにどん底ですね。その頃はやけになって、よく悪い酒を飲んだものでした。でも、どん底の中でひとつだけ堅く心に決めていたことがあります。
――それは何ですか。どんなにつらくても惨めでも、最後までこの仕事にかじりついていくということでした。何があってもこの仕事だけは辞めない、その思いでした。
――どうしてそう思ったのでしょう。それは、幼い頃の貧しさがほとほと身に沁みていたからです。もうあの生活には戻りたくない。何があっても絶対に戻らない。その気持ちでした。どんな仕事でもいったん始めれば根気がないわけではありません。
けれども、自分が一番稼げる、向いているのは芸能界だろう、そうだとしたら、どんなに不満でもいいから、食らいついていこう、と思ったのです。
大きな転機となった舞台出演、そして運命の出会い
――そんな時にまた思わぬ「出会い」に恵まれた。女優の若尾文子さんに舞台への出演を勧められました。初めて舞台に立ったのは1984年の『ドラキュラ その愛』でした。お芝居の勉強を何もしていなかった僕です。舞台に立つのは本当に怖かったのですが、いざ始まるとこれが楽しかった。毎日、違うお客様の前で、生でお芝居をすることの醍醐味が、回を重ねるごとにわかってきました。
――30代そして40代は舞台が仕事の中心になっていった。当時はバブル期でもありましたから、あちらこちらで華やかな作品が上演されている。そんな時代でしたね。舞台は長期間にわたって関わるので正直苦痛なときもあります。でも、こちらは一度、どん底を見た身ですから、いただいた仕事を謙虚に一つひとつ大事に演じていこうという気持ちでした。テレビの仕事でもその気持ちは同じ。愚直にそれを日々重ねていく。
年間1~2本の舞台をやりながら、テレビではいただく役を真摯に演じる。このペース、このポジションを維持できれば「なんの不満もない」というのが、40代後半から50代にかけての僕の偽らざる心境でしたね。
――そうした中で、三谷幸喜さんとの運命の出会いが。2014年の『君となら』ですね。主演に竹内結子さん、その妹役にイモトアヤコさん、私は主人公の父親役で下町の理髪店の親父。すでに2本舞台出演が決まっていましたし、三谷さんの作品は覚える台詞の量も半端ではない……そう思うと無理だと思いました。けれども、台本を読んでみたところ、これがもう面白くて仕方ない。最高に面白い。
――以前、あの角野卓造さんが演じた役ですよね。そうなんです。角野さんなら下町の理髪店の親父はぴったりですよね。安心なキャスティングだと思います。それを僕にやらせようという、三谷さんの感性が僕はすごく好きなんですね。やる気を刺激されたことを思い出します。
三谷さんはそうしたギャップを楽しんでおられるように僕には見える。この舞台に参加させていただいたことが、またひとつ僕にとっての大きな転機になりました。
『真田丸』で再ブレイク、役者冥利につきる名セリフ
――そして『真田丸』ですね。真田と聞いて、自分の中で何やら期するものがありました。以前、同じNHKの「新大型時代劇」という枠で放送された『真田太平記』というドラマに、僕は真田幸村役で出演したことがありました。『真田丸』での堺雅人さんの役ですね。
そして今度は、『真田太平記』では丹波哲郎さんが演じていた幸村の父親・昌幸の役。ましてや、三谷さんの脚本です。いくつか決まっていた舞台はありましたが、どうしてもやりたいと思いました。
三谷さんが『君となら』の楽屋を訪ねてくださり、直々にオファーしてくださったのも嬉しかったですね。三谷さんの作品は、台本から教えられることがいっぱいあります。型通りの戦国武将像と違うとても人間味のある昌幸像に、皆さんも魅力を感じられたのではないでしょうか。この役は、これまでの役者人生で、間違いなく「代表作」と言えるものになったと自負しています。
――まさに役者人生における再ブレイクですね。思ってもいなかったことです。挫折を何度も味わいながら、なんとかこの世界で生きてこられた。それだけでも十分ありがたいと思っていましたが、まさに60歳を過ぎて再びこのようなことが待ち受けているとは、夢にも思いませんでした。
――昨年はまた忘れられない作品に巡り合いましたね。NHK朝の連続テレビ小説『なつぞら』ですね。主人公の「おじいさん」役と聞いて、少し衝撃を受けましたが、僕も考えてみればそれなりの歳です。聞けば主人公の人生に大きな影響を与える役柄でしたので、とてもやりがいがあると感じました。
何より嬉しかったのが、演出陣に『真田丸』のときと同じ面々がいたこと。ご覧になった方はご存じかと思いますが、とにかく台詞がいいんです。脚本家の大森寿美男さんは、胸に残る台詞をたくさん書いてくださいました。今こうして思い出して呟こうとするだけでも、もう涙が溢れてきてしまいます。
大森さんの台詞を口にするたび、役者冥利に尽きるなあと、僕自身が一番感動していたのではないかと思います。『真田丸』とはまったく違う世界を広げることができた、そんな満足感も得ることができました。