本当の豊かさ宿る「昭和遺産」 第10回(全14回) 世の中は、デジタル化、スピード化が急速に進み、私たちの暮らしはますます便利で快適なものになりました。しかし、はたして私たちは幸せを手にすることができたといえるのでしょうか。私たちの暮らしはどこかで、大切なものを置き忘れてしまっていないでしょうか。義理人情に厚く、おせっかいで、濃密な人間関係に支えられた昭和という時代。どこか不器用でアナログな“昭和”を見つめることで、合理性一辺倒ではない、暮らしの豊かさを再発見していきます。
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どこか懐かしいオムライス2600円。フォン・ド・ヴォライユベースのトマトソースが絶品。懐かしいあの味、家族で行った洋食屋
文・平松洋子 (エッセイスト)洋食は、“西洋”の料理そのものではなく、あくまでも「和洋折衷の料理」だというところに人気の秘密がある。明治以降、ハイカラ好きの日本人のあいだで“西洋”の味はみるみる市民権を得ていくのだが、その過程で、料理しやすく、食べやすい料理にアレンジされていった。
たとえば東京で最も古い洋食屋の一つ「煉瓦亭」が銀座に開店したのは明治28年だが、本来ならカツレツの付け合わせに温野菜を盛り合わせるところを、手軽な刻みキャベツにアレンジして大評判をとった。和洋折衷、とんかつとキャベツの名コンビの誕生である。
コロッケ、メンチカツ、ハンバーグ、チキンライス、オムライス……日本人による、日本人のための味。昭和に入ると、カレー、シチュー、グラタン、スパゲッティ、さらにバラエティが広がって洋食は一大ジャンルを確立する。
おとなになっても、今日は洋食だと思うと晴れがましい気持ちになるのは、ハイカラ好きのDNAのなせるわざだろうか。昭和30年代後半、デパートの食堂に連れてってとねだるときは洋食が目当てだった。
ドゥミグラスソースやホワイトソースは思いのほか手間と技術が要求されるから、家庭の味とは格段に差がある。そのわかりやすさも、ハレの日の外食にうってつけの理由である。
昭和初期の資生堂パーラー店内。上・下ともに、昨年11月の改装後の店内。明治35年創業の「資生堂 パーラー」は、日本における西洋料理の草分け的存在。ハイカラな料理もさることながら、そのモダンな内装と雰囲気で、銀座に集うモボ・モガ、多くの文化人を魅了してきた。
本格的な西洋料理を供するようになったのは、関東大震災後の昭和3年のこと。当時、圧倒的な人気を誇ったのが、お洒落に供されるカレーライスとチキンライス。3年後にはミートクロケットも登場。3大メニューとなった。その伝統の味は、今なお多くの人々に愛されている。
家族の集まり――甘露寺家のお誕生祝い
家族の集まりを大切にしているインテリアデコレーターの甘露寺芳子さん。「最近はクリスマスくらいしかしなくなりました」とおっしゃりながら、今日は娘、知子さんの一人娘、えりかちゃんの11歳のお誕生日。従兄弟の孝房君も加わって大好物のミートクロケットとオムライス、ケーキでお祝い。同じ会社で日頃は仕事に忙しい芳子さんと知子さんだが、えりかちゃんとの会話に花が咲く。昨年11月に改装され、一つ上の写真が現在の内装。●資生堂 パーラー東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル4、5階
TEL:03(5537)6241
伝説のメニューのミートクロケット、ビーフカレーライスまたはハヤシライスをコース仕立てにした「銀座モダンランチ」4400円(平日16時まで)が人気。
「#昭和遺産」の記事一覧 撮影/大泉省吾
本誌が考える【昭和遺産】とは、昭和時代に生み出されたもの、もしくは昭和時代に広く一般に親しまれたもので、次世代へ継承したいモノ、コト、場所を指します。
『家庭画報』2020年8月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。