■「YMO」時代から『戦場のメリークリスマス』、『ラストエンペラー』へ
映画は、坂本さんの20代からの華々しい音楽活動を追っていく。
1978年の「千のナイフ」でソロデビュー、同年には、細野晴臣、高橋幸弘の3人で「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)を結成し、ポップロックとシンセサイザー音楽を融合させた音楽で世界的人気となった。
80年代には『戦場のメリークリスマス』で音楽だけでなく、大島渚監督に俳優としても起用され、堂々とデヴィッド・ボウイと渡り合う日本陸軍大尉を演じた。さらに『ラストエンペラー』でも甘粕大尉を熱演、そのスケールの大きな映画音楽はアカデミー賞ほか多くの賞を受賞。映画音楽家としての地位も確立した。
それ以降も作曲家、演出家、音楽プロデューサーとして幅広いジャンルで活動を続けてきた。映画はそのプロフィールをやはり静かに追っていく。
■「エコはファッション」、社会問題には学生時代から自然に
15年くらい前の新聞に、ニューヨークの街角を闊歩するカッコいい坂本さんの写真入りで、「エコはファッション」との表題が有った。
「子どもが1歳になった頃から環境問題が気になるようになった」との趣旨。その頃から「いつかインタビューを」と心に決めた。
そして10年後の2011年10月、オックスフォード大学のチャペルで、吉永小百合さんとの原爆詩の朗読と演奏会が開かれ、小誌が取材・紹介。
坂本さんにご登場いただいた最初の記事である。その際のインタビューで「社会問題には、学生時代から自然と関心を持った」とおっしゃっている。
坂本さんは
2007年から「Stop Rokkasho」(ストップ・ロッカショ)というWEBを使って青森県六ヶ所村にある放射性廃棄物再処理工場の危険性を訴える活動をはじめたが、2011年3月11日以来、被災地を訪ね歩いてきた。それまで活動していた「more trees」(森林保全と植林活動)に「NO NUKES」が加わった。
震災から3年を経た頃、自ら防護服を着用して福島第一原発を囲む帰還困難地域に足を踏み入れる。「見て見ぬふりをするのは、僕にはできないこと」と首相官邸前の原発再稼働反対デモにも頻繁に参加し、スピーチも行っている。映画の中では、防護服の坂本さんが映し出される。デモでスピーチする姿もある。
■家庭画報と坂本龍一さん
≪吉永小百合 坂本龍一「オックスフォードに響いた祈りの朗読と旋律」≫
2012年1月号掲載 撮影/KEI OGATA
3.11の前年秋から企画、お二人にお声掛けして1年後の10月、オックスフォード大学ハートフォード・カレッジ・チャペルで主に日本語学科の学生を対象とした朗読と演奏による「第二楽章・イン・オックスフォード 世界平和へのメッセージ」の会が実現した。
何しろ世界最古の大学。オックスフォードの街そのものが大学と言われる大学都市。アカデミックな建物と石畳の歩道は「教授」とも呼ばれる坂本さんによく似合う。
しかし、到着早々トラブル山積!
リハーサルを始めようと夕方、チャぺルに集合したのだが、前のコーラスの練習が終わらない。あちらは自分たちの持ち時間だと譲らない。どうやら係がダブルリザーブしたらしいのだが、広大な学内、埒あかず。ニューヨークから着いたばかりの坂本さんも渋い顔。
やっと始まったリハーサル。しかし、ピアノの置き方が逆だという。音が客席に向かうようにグランドピアノの屋根が客席に向いて開いていなければならない。それが逆だった。チャぺルでは「100年前からこのように設置してあるので、1㎝たりとも動かせない」という。
予定したリハーサルは諦めて、食事に出かけることになった。のっけっからのトラブル。ハラハラ、ドキドキの私たち。「もし動かせなかったらどう致しましょう?」と恐る恐る聞いてみた。坂本さんは「その時はその時。何とかなりますよ」とむしろ笑顔で答えてくださった。その瞬間、坂本さんとの壁は一拠に崩れ、われわれスタッフチームは「坂本ワールド」に溶け込むことになった。
後日談。翌日、ピアノは何事もなかったかのように正しい位置に設置されていた。
坂本さんが「おじいさんのような音がする」と表現したピアノは、当日、美しい旋律を奏でることになる。
此処は『ハリー・ポッター』の舞台。まるで魔法にかかったような気がした。