紺野美沙子さんと福澤諭吉の足跡を識る
慶應義塾大学出身の女優・紺野美沙子さんが福澤諭吉の故郷である大分県中津市と、蘭学を学んだ大阪へ。青年時代の諭吉が読書に耽った土蔵や、仲間と議論を交わした部屋で尊敬する「福澤先生」の生涯に思いを馳せました。
幼少期を過ごした地
中津(大分)
福澤家が仕えた奥平家が154年にわたり居城としていた城。明治の廃藩置県と西南戦争で建物は失われたが、石垣と内濠は当時のまま。1964年に現在の天守閣が建造された。〔紺野さん着用衣装〕ドレス8万7000円/ポールカ(アオイ) ピアス4万8000円/キノシタパール紺野美沙子(こんの・みさこ)さん慶應義塾大学在学中に女優デビュー。テレビや舞台で活躍する傍ら、「朗読座」を主宰し、全国各地で公演。NHKFM『音楽遊覧飛行』案内役、国連開発計画親善大使、大相撲有識者会議の一員も務める。2020年12月~2021年1月に舞台『両国花錦闘士』に出演予定。●中津城(奥平家歴史資料館)住所:大分県中津市二ノ丁本丸
TEL:0979(22)3651
公式URL:
http://www.nakatsujyo.jp/母子6人で住んだ茅葺き屋根の家
福澤諭吉旧居(大分・中津)
現存する旧居は諭吉一家が中津で暮らした2番目の家。「母・お順の実家が所有していた家屋です」と解説するのは、中津市文化財担当の学芸員、松岡李奈さん。〔紺野さん着用衣装〕カーディガン5万5000円 ニット4万9000円 スカート4万5000円/すべてトラデュイール スカーフ/DUEdeux ピアス6万8000円 ブレスレット6万5000円 リング11万3000円/すべてウノアエレ(ウノアエレ ジャパン) 靴1万5000円/ダイアナ ウェルフィット(ダイアナ 銀座本店)一家仲よく暮らしながらも中津脱出を切望した日々
福澤諭吉は1835(天保5)年に下級武士だった父・百助と母・お順の次男、5人きょうだいの末っ子として大坂の中津藩蔵屋敷に生まれました。
しかし、諭吉が1歳半のときに父が病死し、一家は大分の中津へ移住。父母の郷里である中津には大勢の従兄弟が暮らしていましたが、諭吉たちきょうだいはなじめませんでした。言葉も身なりも大坂風だったからです。
そのため、子どもの頃の諭吉は、8歳上の兄・三之助と過ごしたり、手先の器用さを生かして障子張りや繕いものなどをして過ごします。
諭吉が自らの手で改造し、勉強部屋にした土蔵の2階。大黒柱を失った下級武士の家は裕福とはいえず、お順は働きづめでしたが、諭吉は「母子睦(むつま)じく暮らして兄弟喧嘩(げんか)などただの一度もしたことがない(福翁自伝)」と振り返っています。
14、15歳で儒学者・白石照山の塾に通い始めた諭吉は、たちまち学問の才を開花。『論語』『孟子』『詩経』など名だたる漢書を次々に読み解いていきます。
当時のことを諭吉は「その意味を解すことは何の苦労もなく存外早く上達しました(福翁自伝)」と回想しています。
右・紺野さんが見入っているのは、諭吉が初めて出版した『増訂華英通語』(複製)。アメリカで入手した英中対訳の単語集に英語の発音と中国語の日本読みとをカタカナでつけたもの。Vの発音を表すため、「ヴ」という新しい文字を創り出した。 左・瓦葺きの土蔵。熱心に漢学を学びながらも、中津時代の諭吉は常に門閥(家の格付け)による差別への不満と、それゆえの「中津を出たい」という思いを抱えていました。
紺野さんは、「白石先生も下級武士だったために藩から門番を命じられ、反発して追放されたと聞き驚きました。そんな時代を生きた青年諭吉の忸怩たる思いが、ここへ来たことで身近に感じられました」と話します。
やがて19歳になった諭吉は蘭学を学びに長崎へ。その翌年には大坂の適塾に入り、人生が大きく拓けていきます。
右・木造茅葺き平屋建ての家は1803(享和3)年築。 左・誰にでも優しかったお順は、近くに住む貧しい女性チエを家に招いては頭の虱(しらみ)を取り、「取らせてくれた褒美に」と食事をふるまった。庭に残る平たい石は諭吉が虱を潰すのに用いたと伝わるもの。「独立自尊是修身」の書がかかり、内職用の糸車が置かれた旧居の居間。諭吉は勉学や家の手伝いに励む一方で、大胆ないたずらも数々やってのけた。自伝には神社のご神体を取り換えたことなどが得意気に綴られている。旧居の隣には記念館があり、諭吉関連の資料が豊富に展示されている。稲荷の社(やしろ)の中には何が這入(はい)っているか知らぬと明けてみたら、石が這入っているから、その石を打擲(うっちゃ)ってしまって代りの石を拾うて入れて置き、────福翁自伝●福澤諭吉旧居・福澤記念館住所:大分県中津市留守居町586
TEL:0979(25)0063
URL:
https://fukuzawakyukyo.com/