世代を超えて美を受け継ぐ母と娘のきもの 第2回(全4回) 母や祖母が着ていたきものに袖を通すと、懐かしさや愛しさが甦ると同時に、自分にも驚くほどそのきものが似合うという経験をされたかたは多いはず。大切に受け継いだきものを生かし、次の世代へ──。思いを込めて装う、母娘の姿をご紹介します。
前回の記事はこちら>> 自在に生きた女優の美意識を受け継いで
内田也哉子さん(文筆家)
伽羅さん(大学生)
樹木希林さんと一緒に訪れたこともある「赤坂プリンス クラシックハウス」で、内田也哉子さんと娘の伽羅さん。也哉子さんの黒留袖は、2001年1月号の家庭画報本誌で希林さんが着ていたもの。縞の帯でモダンに着こなしています。伽羅さんの振袖は、ドラマ撮影のために昭和初期のアンティークの二枚を片身替わりに仕立てたもの。希林さんらしい大胆な個性溢れる一枚が、伽羅さんにもしっくりなじんでいます。物の命を大切に、生かし切る
「私にとって、母は柱のような人でした。母性はもちろん、父性を感じる存在でもあり。今でも何かあると、こういうときに母ならどうするだろうと考えることがよくあります」。こう話すのは、樹木希林さんの娘、内田也哉子さん。希林さんが愛してやまなかったきものを受け継ぎ、数々のエピソードに想いを馳せながら、積極的にきものを着ているそう。
「きものをまとうと母の気配を今でも感じます」グレーがかった色合いの縮緬の上前からさりげなくのぞく紫の柄行き。これは帯、伊達衿とともに、昭和初期の御召をアレンジしたもので、縮緬の衽(おくみ)を斜めに裁断し、比翼仕立てにして縫いつけています。希林さんのお洒落心が、也哉子さんの美しさを見事に引き出しています。希林さんのもとには、昭和初期や明治時代のアンティークなど、古いきものや帯が絶えず集まってきたといいます。どうしたらそうした物の命を生かせるか思考し、自分好みに手を加え、決して簞笥のこやしにはしなかった希林さん。「母のきものは、基本を捉えたうえで、既成概念にとらわれず、独自の発想を随所にちりばめるキャンバスのようなものでした」と也哉子さん。
鶴が艶やかに舞う絽の振袖は、也哉子さんが自身の結婚式で着たもの。希林さんは2015年のカンヌ国際映画祭でこれを着用しています。足もとには履きやすい革靴を合わせていました。きものの着方にしても、帯揚げはせず、空気をまとうようにふわりと着るのが希林流。「きものを体に合わせるのではなく、体をきものに合わせなさい、とよくたしなめられたものです」。
家庭画報本誌2001年1月号より。このとき希林さんが着た黒留袖は、19年の時を経て也哉子さんが着用(本ページ1枚目写真)。希林さんが知り合いから譲られたというそれは生地がかなり弱っていたため、裏打ちし、刺繡も加えて豪華に変身させたそう。当時1歳2か月の伽羅さんのきものは、希林さんが古い羽織をほどいて市松模様にパッチワークした、心を尽くした一枚。撮影/鍋島徳恭也哉子さんにとってきものを着ることは、希林さんの存在を思い、確かめることにほかなりません。今年、成人式を迎えた娘の伽羅さんの振袖姿を見て「母にも見せたかったですね」と微笑む姿に、稀代の女優から継承した次なる“きもの番長”の気配が窺えます。
細部に至るまできものへの愛に溢れて
「祖母の存在を忘れずに、海外でも日本の伝統美を広めていけたら」伽羅さんが着ているのは、希林さんが富士フイルムのCMで長年着用していた思い出深い朱赤の振袖。現在ニューヨークに留学中の伽羅さんは、「きものに限らず祖母のようにユニークな発想で、自分なりの表現ができれば」と話します。也哉子さんも「娘にも、母のように柔軟にきものと親しんでほしいです」と目を細めて。手間ひまをかけ、工夫を楽しみ、物の価値を見事に甦らせる──。希林さんのきものコレクションには、一貫した意志が見受けられます。小物一つ一つまでこだわり抜いたその価値観にはきものに対する並々ならぬ愛情が込められ、私たちを魅了します。偉大なる母の意志を受け継いだ也哉子さんもまた、心を尽くした装いの妙を、伽羅さんに伝えていくことでしょう。
〔特集〕世代を超えて美を受け継ぐ 母と娘のきもの(全4回)
撮影/森山雅智 ヘア&メイク/橋本奈緒美 着付け/石田節子
『家庭画報』2020年10月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。