桜木紫乃 著/集英社「ママがね、ボケちゃったみたいなんだよ」。妹の乃理からの電話で母親が認知症だと知らされた智代。自分たちを振り回してきた横暴な父親とは、ずっと距離を置いていた智代だったが......。家族との関係やその役割の終え方を、5つの視点を通じて考え、描いた連作短編集。
文/中江有里(なかえ ゆり)「普通の家族なんてない」。偶然耳にした学者の言葉に、深く頷いた覚えがある。
つい自分の家族を他の家族と比べてしまうけど、どこにも普通や一般的な家族はない。誰だって自分の家族しか知らないのだ。
本書は著者の家族をベースにした小説。両親と娘2人という家族構成も同じ。起きる出来事はフィクションだが、一つひとつが生々しく迫る。
家族を小説で著わす理由のひとつは、あらゆる登場人物になれるからかもしれない。
「ママがね、ボケちゃったみたいなんだよ」妹・乃理からの電話を受けて、長らく距離を置いていた実家へ、夫の啓介とともに向かう智代。横暴な父に振り回された姉妹の仲はぎこちなく、特に乃理の姉に対するコンプレックスは強い。
姉妹であっても家族観は違う。それぞれが築いた家族関係も別物だ。おそらく自分が生まれ育った家庭がひとつのモデルとなり、自分が家族を作る時の理想が生まれる。いやが応でも、元の家族の影響から逃れられない。
バツイチの陽紅は啓介の母に見初められて、啓介の弟の涼介と結婚する。母と同い年の夫のため陽紅は理想の妻となろうとするが......。
結婚したときに離婚するなんて考えないし、自分たちだけは素晴らしい夫婦になれると夢を見る。
でもそれは「家族」という幻想に縛られるがゆえ。思い描いた理想に嵌(はま)らなくなった途端、心は迷い始める。
それでも人は家族を作ろうとする。夫婦は他人だから別れられるが、子どもはそうはいかない。生まれたら最後、どちらかが亡くなるまで関係は続く。
家族は自分の居場所にもなるが、離れられない苦しみをも生む。
本書のタイトル『家族じまい』は「終い」ではなく「仕舞い」の方だ。終わるのではなく、自ら終わらせる。従来の家族像、あるべき関係から自分を解放し、過去を整理する。「仕舞い」とはそういうことかもしれない。
もちろん家族には共通の思い出や感覚もあって、居ることで救われもする。
だけど家族は年月を重ねて、やがて別れていく。その時に初めて見えるもの、わかることがあり、家族であり続けた最後の褒美のようにも思える。
暗い現実の向こうにかすかな光を感じた。
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女優、作家。近著に『トランスファー』『残りものには、過去がある』など。『yomyom』で「愛するということは」を、『潮』で「水の月」を連載中。今年は音楽活動も再開し、今冬アルバム発売予定。「#今月の本」の記事をもっと見る>> 取材・構成・文/塚田恭子
『家庭画報』2020年11月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。