さて、話を戻すと、ライオンに首輪をつけたら惨めに見えるが、イヌだとカッコいい。また、家畜になった動物は食べられてしまったとしても、確実に生き物としての目的を成し遂げることができる。この2点は理解いただけたと思うが、それ以外で野生動物と家畜の差は何があるのだろうか。
まず、家畜動物たちは野生の原種に比べて寿命が長い。例えばオオカミは平均6年程度で死んでしまうがイヌは大型犬で10年以上、小型犬では15年以上生きる。野生のイタチは3年程度の人生だが家畜であるフェレットは7年以上生きる。衛生的な飼育環境と獣医学の進歩が理由だと思う。
次に繁殖力。野生動物はエサの豊富な季節に出産するために通常は年に一度の発情期だが、家畜はいつでも食事をもらえるのでそのあたりはかなりおおらかになっている。騒々しくてストレスフルなヒト社会に対しての寛容性も飼いやすさにつながっている。
特徴を上げたらきりがないが、私が家畜に感じる一番の魅力は、有益な彼らが精神的な幼形成熟の生き物であることだ。特にイヌ、猫、フェレットについては顕著に思う。これはわかりやすくいうと“永遠の子供”であり、飼い主をいつまでも親として認識することである。
30年前は現在と違っていわゆる特定動物に対する規制が甘かったので、様々な危険生物が私の病院に持ち込まれた。
「お宅の病院はこういうの専門ですよね」
どこでどうバレたのか “普通じゃない生き物を飼う獣医”として広く認知されてしまったので、もう毎日次から次へのありさまだった。
ベンガルヤマネコのペアが巨大な檻に入ったまま運び込まれた時も真剣に悩んだ。メスが子供を産むとすぐにオスが子を喰ってしまうのだった。飼い主も触ることができないほど凶暴で、これはもう檻ごと包んで麻酔ガスで全員眠らせ新生児を救助するしかなかった。
シンリンオオカミ愛好家の男性の顔は咬み傷による縫合の跡で地図帳のようだった。イヌの飼い主はあんな顔にはならない。
私もどんどん感覚が麻痺して、キンカジューやフクロギツネ、オオコウモリ、大型のサイチョウ、アメリカドクトカゲ、ニシキヘビ、巨大ワニガメなど、次から次へと家族を増やしていった。
その中で唯一、扱いやすかったのがソロモンと名づけたシマスカンクでいつまでも子供の心のままで私を慕ってくれた。今思えば少しだけ普通と違う子だったようで、この子の大人しさに惚れ込んだメスのスカンクの飼い主たちが「是非とも子供をとりたい」と押し掛けてきたものの、肝心のメスたちには総スカンをくらっていた。
まあ、こういう例外も中にはあるが、動物人生59年、獣医師35年目の現時点の私の意見としては、「家族の一員にするならやっぱり家畜が一番」である。明日になったら気が変わって昔に戻っている可能性は十分にあるけれど。
というか「じゃあ、今もなお、病院ビルの各所に飼われている彼らは何なんだ」という声もチラホラと聞こえるようなので、次は特殊動物の飼育の実際とその素晴らしさなどについてもお話しするつもりだ。
野村潤一郎(のむら・じゅんいちろう)
野村獣医科Vセンター院長。動物思いの飼い主たちの期待に応える徹底した動物本意の医療の根底にあるのは、野村イズムともいうべき動物観。犬や猫から爬虫類まで、さまざまな生き物たちを飼育・診療してきた経験をもとに、動物と人が共に幸福に暮らすことができる理想の世界を追求する“闘う獣医師”。
『家庭画報』2020年12月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。