パヴァロッティとティノ(『パヴァロッティとぼく』の著者)。ティノの30歳の誕生日をサプライズケーキでお祝い。(『パヴァロッティとぼく』より)03.ティノが帝国ホテルのキッチンで作ったパヴァロッティ直伝のレシピ「ペンネ・アラビアータ」
―――(「トスカ」の舞台が)ひとつ終わった夜、ホテルに戻るとマエストロはぼくを呼んでこう耳元でささやいた。
「ティノ、ペンネ・アラビアータを20人分作る気はないか?」
==中略==
プロのシェフで構成されているレストラン部に助力を求め、部屋から厨房へパスタ、トマト缶、オリーブオイル、パルミジャーノを運んだ。マエストロの助言に従い、ぼくたちは500グラムのパスタ8袋、つまり人数分の倍の量をゆでた。一口も余らなかった。
「ブラヴォー、ティノ! ブラヴォー!」とマエストロはぼくに向かって、あの威厳のある声でそう言ってぼくを絶賛してくれた。(『パヴァロッティとぼく』21節より)
東京でもふるまったイタリア料理
文/楢林麗子
パヴァロッティはワールドツアーで行く先々のホテルの部屋に特注のキッチンを作らせ、イタリアから持参した山のような食材を使い、愛用の鍋やフライパンまで持ち込んで自分で調理をしました。彼は、人に食べさせること、友達やスタッフと一緒に食べることもまた大きな喜びとしていたのです。
それは1997年に、メトロポリタン歌劇場(MET)の来日公演で、帝国ホテルに宿泊した際のエピソードにも表れています。
パヴァロッティはこのとき、東京公演の共演者やMETのスタッフら仲間全員を、帝国ホテルの自分のスイートルームに招いたのでした。いったい何人いたのでしょうか。40人分を完食したというのも納得です。
このとき東京に持参した食材は、前の滞在先のニューヨークで調達したのではなく、わざわざイタリアに寄って仕入れてきたものでした。
帝国ホテルのスイートルームにはキッチンはもちろん、そのほかリクエストしたものが完璧に準備されていて、パヴァロッティとティノを感激させました。
故郷のモデナにいるときは、ティノとふたりで家の近くのバール(カフェ)によく出かけ、モデナ名物のニョッコ・フリット(gnocco fritto)という薄い揚げパンのようなものに生ハムをはさんだローカルなサンドイッチをほおばり、冷たいビールを飲むことを楽しみにしていました。
それもレストランで出されるような上品で小さいニョッコ・フリットではなく、地元の人が食べるような、大きくて、素朴で庶民的な味をこよなく愛していたのです。
モデナの自宅“カーザ・ロッサ”のすぐ横にある、パヴァロッティが開いた「レストラン・エウローパ '92」では、今でもモデナならではの郷土料理が存分に楽しめます。オーナーシェフのチェーザレの得意料理の「金箔をのせた黒米のリゾット」や「コンソメスープに入ったトルテリーニ(具を包んで小さくまるめたパスタ)」はパヴァロッティの大好物でした。
生前毎年この地で行われた「パヴァロッティ&フレンズ」(ポップスターたちと共演した大規模なコンサート)の際にはライザ・ミネリ、ボノ、スティーヴィー・ワンダー、セリーヌ・ディオン、マライア・キャリーといった大物歌手たちが訪れ、その味を楽しんだといいます。
パヴァロッティは、歌声で人々を魅了しただけでなく、イタリア郷土料理の魅力も世界に広めていたのですね。
リゾートホテルのキッチンで料理するパヴァロッティペンネ・アラビアータ
Penne all'Arrabbiata
※パヴァロッティのレシピは家庭料理なので、およその分量を記載しています。お好みに合わせて調節してください。●材料(4人分)・ペンネ 400g
・パッサータ※(粗ごししたトマト) 約600g
・エクストラヴァージン・オリーブオイル 適宜
・みじん切りの唐辛子(乾燥したもの) 適宜
・パルミジャーノ・レッジャーノチーズ 約50g
・ガーリックソルト、オニオンソルト、黒コショウ 適宜
・砂糖 少々
●作り方1) フライパンにオリーブオイルを少量入れて熱し、パッサータ(※缶詰のホールトマト、カットトマトなどをこしたものでもよい)を加え、ガーリックソルト、オニオンソルト、黒コショウ少々と、酸味をとるために砂糖をひとつまみ入れ、そのまま5分煮込む。
2)深鍋にお湯をわかし、沸騰したら塩を加え、ペンネを入れる。
3)ペンネがアルデンテにゆであがったらざるで水気を切り、1)のトマトソースに入れ、唐辛子を好みの辛さだけ加えて炒める。
4)火を止め、オリーブオイルをまわしかけ、おろしたパルミジャーノをひとつかみ入れればできあがり。
パヴァロッティが望んで撮影したティノとの最後の写真。この2週間後にパヴァロッティは亡くなった。(『パヴァロッティとぼく』より)