スーパー獣医の動物エッセイ「アニマルQ」 「飼いやすさ」はペットを選ぶときの基準の一つ。でも、それで満足することなく、あえて飼ったことのない動物たちを求め、自ら飼育のハードルを上げていってしまうのが動物マニア。その筆頭が野村先生ですが、飼いにくさをモノともせず夢中になる動物たちの魅力とは?
一覧はこちら>> 第4回 愛しき「飼いにくい」動物たち
文/野村潤一郎〈野村獣医科Vセンター院長〉
1960年代に東京の一般家庭で飼育されていた動物といえば、今と同じように犬と猫が主流だったと思う。しいていえば今よりも鶏人口が多くどこへ行っても一日の始まりはコケコッコー!だった。
これらは実用家畜としての意味合いも強かった。すなわち犬は番犬、猫はネズミ捕りの仕事を任されていて、繫がれることはなく室内でも町中でも自由に行動することを許されて、その任務に勤しんでいた。鶏たちはドクダミを食べるだけでなく卵も提供した。
また各家庭には小鳥が飼われていて、あちこちから聞こえるカナリアの歌が町のBGMだった。鳥の鳴き声が受験生の邪魔になるなどという無粋は皆無であり「隣の奥さん、いつも小鳥の歌をありがとう」、そんな会話が聞こえてくるおおらかな時代だった。伝書鳩はマニアックだったが、これもまた新聞社などで使用される実用的な側面を持っていた。夕日を浴びオレンジ色に輝きながら鳩舎に帰る鳩の大群は下町の風物詩だった。
観賞用として歴史の古い生き物は金魚と錦鯉だろう。どの家にも金魚鉢があり、庭のある家では池に鯉が泳いでいた。
外見が可愛らしく飼い主にいじくりまわされるのが仕事の小動物は、シマリス、ウサギ、モルモットが主だった。彼らは既に毛皮や食肉に供されることはほとんどなかったので現代における“ペット”と称される存在に最も近い立場にあった。
ペットとは嫌ないい方をすれば“何の役にも立たない生きた玩具”を表す言葉だ。これらに手が届かないハナ垂れの子供たちは代用品を求めた。空き地で虫を捕まえ、公園の池でザリガニを獲り、遠足で田舎に行けばカエルやヘビを追いかけた。怪獣番組に洗脳されているため、奇抜な外観の生き物にも“かっこよさ”を感じるセンスを持っていて毛虫でさえもその対象になった。
やがて成長して動物エンスージアストになるわけだが、ある程度の年齢になると犬や猫の家畜と一緒に暮らす生活は既に日常となり、とっくの昔に満たされていたりする。そうなると未知の世界に旅立ちたいといういけない気持ちがむくむくとアタマをもたげはじめ、動物に関する興味や欲求はエスカレートしていく。つまりいい歳して「珍しくてかっこいいのを飼いたい!」となるわけだ。
ところが、魅力的な生き物は様々な理由で手に入りにくかったり飼いにくかったりする。困難であればあるほど恋は燃え上がるらしいが、今回は“飼いたいのに飼えない”という欲求不満からさらに夢中になってしまう現象について話したい。