京都を旅するにあたり、京都ならではの場所や味に出会うために、私たちはなにを拠り所とすればよいのでしょうか。京都の情報を多数書き残した、随筆家・大村しげさんの記憶は、まさに京都を深く知るための確かな道しるべ。今回も彼女にまつわる名店を辿ります。
大村しげ
1918年、京都の仕出し屋の娘として生まれる。1950年前後から文筆をはじめ、1964年に秋山十三子さん、平山千鶴さんとともに朝日新聞京都版にて京都の家庭料理や歳時記を紹介する連載「おばんざい」を開始。これをきっかけに、おばんざいが知れ渡り、大村しげさんも広く知られるようになる。以来、雑誌や著書で料理、歴史、工芸など、幅広く京都の文化について、独特の京ことばで書き残した。1990年代に車いす生活となったのを機にバリ島へ移住。1999年、バリ島で逝去。(写真提供/鈴木靖峯さん)名所、将軍塚の帰り道に必ず寄った甘味処
祇園で生まれた大村しげさんにとって、八坂神社、円山公園、将軍塚などの京都・東山一帯は幼少期の遊び場でした。当時の思い出は、著書に繰り返し登場し、東山エリアへの愛着を感じさせます。今回は、その著述の中から、東山の一軒の甘味処を紹介しましょう。
京都の街を一望できる将軍塚から、徒歩で山道を下りるのが、彼女のいつものコース。
「ゆっくり歩いても、三十分ぐらいで鐘撞堂に着く。このあと、わたしがきっと寄るお店があって(中略)お店の名を紅葉庵というて」(『ほっこり京ぐらし』淡交社)と、大村さんは記述しています。
鐘撞堂とは、知恩院の大鐘楼のこと。将軍塚へは車で行くのが一般的ですが、実は東山の麓から山道を上り、向かうことができます。これは幼少期、いつも大鐘楼のうしろから東山を駆け上って、山頂にある将軍塚で遊んでいた彼女にとっては、慣れ親しんだルートでした。
山から下りた大村さんが向かった紅葉庵は当時と変わらぬ姿で、いまも同じ場所にありました。京都の街中から行く場合は、円山公園南側の車の通れる道を奥まで進みます。すると見えてくるのが長楽寺の参道。その入り口にあるのが紅葉庵です。味わいのある門をくぐると小さな庭の向こうに、時間が止まっていたかのような甘味処が現れます。
古い建物がたくさん残っている京都でも、これほど風情のある甘味処は滅多にありません。また、観光客で溢れる八坂神社や下河原の近くなのに、驚くほどの静けさです。それもそのはず、お店があるのは円山公園の奥の奥で、知る人ぞ知る甘味処となっているのです。
余談ですが、1978年に大村しげさんと、物書き仲間の秋山十三子さん、平山千鶴さんの共著によるガイドブック『とっておきの京都』(主婦と生活社)が出版されています。同著にて平山千鶴さんも紅葉庵を紹介していました。このことからも、紅葉庵が京女の琴線に触れるお店であったことがうかがえます。
大村しげさんの愛したゆであずき
「とにかく、ゆであずきがおいしい。私はいつもお番茶をたっぷりといただいて、おうすでは、のどのかわきが止まらないからである」(『ほっこり 京ぐらし』)
この一文から、紅葉庵が山歩きの疲れを癒す、オアシスのような存在であったことが読み取れます。書かれていたゆであずきは、いまも「うす茶(あずき付)」として健在。上品な甘さと薄茶とのバランスが見事です。
うす茶(あずき付)750円(税込み)。番茶も出てきます。約80年前に誕生した紅葉庵
先代店主の牧野眞砂子さん、そのお嬢さんで現店主の白川里美さんによると、建物は約130年前に、さる大物の別邸として建てられたものだそう。それが80年ほど前、紅葉庵の名で甘味処となったのです。維持が大変な古い建物であったため、存続が危ぶまれることもありました。しかし、入り口の風情ある姿をとどめておきたいとの長楽寺の意向で、紅葉庵は寺院の所有となり、いまなお多くの人に愛され続けています。長楽寺へのお参りの帰りに、3代にわたって立ち寄られる方もいらっしゃるとのこと。
「日本を感じられる場所。ほっとして時間を忘れられる場所であることを大事にしています」と先代店主。
3年前に店主となった白川里美さん。昔からの甘味はしっかりと里美さんに受け継がれています。