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追悼・柳原一成さん。秋の恵み「近茶流のご飯」

2022.09.21

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追悼・柳原一成さん 秋の恵み 近茶流のご飯 第1回(全4回) 米は日本料理の象徴、日本の料理はご飯をおいしく食べるためにある、と常々おっしゃっていた近茶流江戸懐石先代宗家の柳原一成さん。今まで家庭画報本誌でご披露いただいたご飯料理の数々を通して、江戸の食文化や心を大切にした柳原さんを偲び、その功績を振り返ります。
追悼・柳原一成さん 秋の恵み 近茶流のご飯
柳原一成(やなぎはら・かずなり)
1942年近茶流先々代宗家柳原敏雄の長男として東京に生まれる。東京農業大学農学部卒業。「柳原料理教室」を主宰し伝統的な日本料理を指導する傍ら、自ら野菜を育てるなど食材の研究にも力を注ぐ。2022年1月29日、79歳で逝去。写真/久間昌史

“ご飯”とともに伝えてきた日本人のこころ


炊きたての甘い香り、ふっくらつやつやと輝く美しい見た目、噛むほどに広がる上品なうまみ。一膳の炊きたてご飯には、五感で楽しむ和食の魅力のすべてが凝縮されています――。柳原一成さんが日頃から熱く語っていたのは、日本の主食・お米に対する敬虔な想いでした。


“瑞穂の国”日本。わが国の米の歴史を辿ると神話の時代まで遡るといいます。神話では保食神(うけもちのかみ)のご神体から発生した五穀を、天照大神が稲を「水田種子(たなつもの)」に、粟、稗、麦、豆を「陸田種子(はたつもの)」に定めたのだとか。天孫降臨の神話では稲を水田で特別に栽培させた、とも伝えられています。

日本の風土が稲の栽培に適し、収穫後に貯蔵できることも米食が定着した理由の一つ。米食文化は弥生時代に確立されたといわれていますが、江戸時代になるとよく搗(つ)いた白米が主流になっていきます。醤油をはじめとした醸造調味料が発達したのも、米から作る麹の存在があったからこそ。鎮守様の秋祭りも、田植えから半年近くかけて収穫した米などへの実りに感謝して行われるものです。

このように、おいしいものを作るために食材を知ることは、日本の季節や風土を学ぶこと。そしてそれを糸口に自然や文化、歴史などさまざまな事柄に対する興味へと広く深くつながっていきます。それが和食の魅力、楽しさでもあると私たちに教え、導いてくださった柳原一成さん。生涯をかけて、和食――ひいてはそれを育んだ日本の風土・文化――を立ち止まることなく究め続けられました。穏やかな笑顔を思い出しながら、豊かな四季のある日本で和食をいただく幸せを、改めて噛みしめます。
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