毎日を心豊かに生きるヒント「私の小さな幸せ」 今まで手がけた演出作品は100作以上。「演出家という仕事は飽きることがない」と声を弾ませて語る宮本亞門さんですが、精力的に人生を楽しんでいるその根底には、波瀾万丈の経験から培われた死生観がありました。
一覧はこちら>> 第7回 宮本 亞門(演出家)
沖縄の動物愛護管理センターで出会った愛犬の2代目ビートと散歩の合間に御嶽(うたき)にてお祈り。ビートはこの世に無条件の愛情があることを実感させてくれる大切な存在。宮本 亞門(みやもと・あもん)1958年東京都生まれ。演出家。2004年東洋人として初めてオンブロードウェーで『太平洋序曲』を演出し、トニー賞4部門にノミネート。ミュージカル、オペラ、ストレートプレイ、歌舞伎など多ジャンルで国際的に活躍中。オーストリアで大絶賛を受け、累計4万人を動員したオペラ・モーツァルト『魔笛』(東京二期会)が2021年9月、東京文化会館にて再演された。「死ぬ瞬間まで、思いもよらぬことが起き続けるのが人生。心の筋肉を養い、今、生かされていることに感謝して存分に生き抜きたい」
今までの人生を振り返ると、自分の生き方に影響を与えている、死にまつわる大きな出来事が3つあります。
太陽が煌めく沖縄の海。1つ目は21歳のときに突然訪れた母の死。ダンサーとして出演するミュージカルの初日の朝のことでした。僕の留守中、家に来て洗濯ものを手で洗っているときに意識を失って倒れ、そのまま逝ってしまったのです。
母は僕を出産したときの輸血が原因で肝炎、肝硬変を患い、入退院を繰り返していたのですが、なんとしても生き続けようとするそのエネルギーは、子ども心にも圧倒的なものでした。母の生き様は僕の人生を大きく変えてくれたと思っています。
おばぁたちと心和む語らい。沖縄と出会い、通い始めて約25年。銀座で生まれ育った宮本さんにとって沖縄の大自然は巨大な母性であり、自分を変えることができ、保てる場所。2つ目はタイでの交通事故。2001年9月、ニューヨーク滞在中に起きたアメリカ同時多発テロ事件の衝撃を癒やしたくてタイのバンコクに立ち寄ったら、交通事故に巻き込まれてしまったのです。頭が割れ、50針縫う大惨事でしたが、奇跡的に生き延びました。
「穏やかにゆったり飛ぶオオゴマダラを見ると幸せを感じます」(写真/ピクスタ)3つ目は2019年に患った前立腺がんです。幸いなことに、ステージ2の早期がんで転移はなかったため、前立腺と精囊の摘除手術を選択。確定診断前の説明で「進行がんだったり、転移していたら余命数か月の可能性もある」と医師にいわれたあと、病院から見た外の景色の美しかったこと。「必ずこの世界に戻ってきたい」と強く願った思いをはっきり覚えています。
死を身近に感じたことで芽生えた、生きる喜び
実は父がこの6月に94歳で亡くなりました。お金にも女性にもだらしなくて、昔は正直最も軽蔑する人、家庭を壊した人だと思っていたのですが、母が亡くなってから、父の背中がすごく小さく見えました。
母の口癖が「演出家として大事なのは人間を直視すること」。その言葉を思い出して父を真っ直ぐに見たら「少し変わってるけど、父は父なりにもがき苦しんできたんだなあ」と思えるようになったのです。
93歳のとき、一緒に軽井沢へ旅行したのですが、とても楽しかった。目に入る自然、あらゆることに感動するんです。「生きているってすごいことなんだぞ」と僕に伝えたかったのでしょうか。
庭に飾られた灯籠。苦い経験や過去を糧に心の筋肉を養いつつ、父や愛犬のビートのように、日常の中に小さな幸せや感動を見つけられる、感性のアンテナを磨き続けていきたい。人生は短く、死ぬ瞬間まで思いもよらぬことが起き続けるもの。こうして生かされていることに感謝しつつ、存分に生き抜いてみたいと、今は心から思っています。
宮本さんの書。なぜ人は生きるのか、生きるうえで最も大切なのは何か。交通事故、がんの経験から自分が生かされた理由、与えられた使命を常に考えている宮本さんの目下のマイブームは宮沢賢治。「コロナ禍で根源的な問いと向き合ったとき、彼のアニミズムや死生観に惹かれました。いつか作品にできればと願っています」。 写真提供/宮本亞門さん 取材・文/小松庸子
『家庭画報』2021年10月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。